歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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江戸と上方の浮世絵で見る「御存 鈴ヶ森」

御存 鈴ヶ森」に登場する白井権八・幡随院長兵衛は、役者絵でも人気の題材だったようで、多くの作品が残されています。それらを調べているうち、国内外のパブリックドメイン公開作品の中に面白い作品を発見いたしましたのでご紹介いたします。

江戸と上方の役者絵で見る鈴ヶ森

 上方

f:id:suehirochan:20210801171120j:plain五代目市川海老蔵の幡随院長兵衛 初代大川橋蔵の白井権八
歌川国升(貞升) アムステルダム国立美術館

大坂の浮世絵師 歌川国升(貞升)の嘉永元年(1848)の作品です。歌川国升(貞升)は初代歌川国貞の門人で大坂に歌川派の役者絵を広めた人物であります。

 

描かれているのは五代目市川海老蔵の幡随院長兵衛 初代大川橋蔵の白井権八です。

幡随院長兵衛を勤める五代目市川海老蔵は、もと七代目市川團十郎。歌舞伎十八番を制定したことでも知られるスターです。

七代目團十郎は倹約をすすめ風俗を正す「天保の改革」により、天保13年(1842)江戸十里四方追放の刑に処されてしまい、大坂や京など上方の芝居に出て活躍していました。赦免となったのは嘉永2年(1849)のことですから、描かれているのはちょうど江戸へ帰る1年ほど前の團十郎の姿です。 

 

対する白井権八を勤める初代大川橋蔵は、もと三代目尾上菊五郎。芸域が広いことで知られた江戸の人気者です。1847年に引退したあと浅草でお餅屋さんを営んでいましたが、大川=隅田川の橋を思わせる「大川橋蔵」を名乗って、再び地方の舞台に出演していました。
しかし大坂で病気になり、1849年江戸に戻る道中に掛川で亡くなってしまいます。描かれているのは65歳の三代目菊五郎、最晩年の輝きです。

 

上方や地方でも江戸のスターたちが待ち望まれ活躍していた事実が目に見える、とてもおもしろい一枚ですよね。

 

 江戸

f:id:suehirochan:20210801172109j:plain初代河原崎権十郎の白井権八 五代目市川海老蔵の幡随意長兵衛
三代豊国(国貞) 国立国会図書館デジタルコレクション

 

こちらは国升の師匠 国貞が手掛けた一枚。10年後の安政5年(1858)10月市村座「小春宴三組杯觴(こはるのえんみつぐみさかずき)」に取材した作品です。

嘉永3年(1850)に江戸へ戻ってきた七代目團十郎が、市村座でも鈴ヶ森のシーンを演じています。対する白井権八は初代河原崎権十郎です。初代河原崎権十郎はのちの九代目團十郎で、明治期に「劇聖」と呼ばれて大活躍します。このときはまだ二十歳の青年ですね。

 

国貞が描いているのは国升の作品と同じ七代目團十郎の幡随院長兵衛、鈴ヶ森のワンシーンですが、丸みのある国升の役者絵に比べて構図が大胆で、タッチもシャープに感じられます。

これは単に師匠と弟子の画力の問題だけではなく、上方の売れ筋と江戸の売れ筋が違ったのではないでしょうか。比べて見るとさまざまな発見があります!

 

参考:茜画廊/浮世絵文献資料館/成田屋/日本大百科全書

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