現在歌舞伎座で上演されている八月花形歌舞伎!
第三部で上演されている「三社祭」は、染五郎さんの悪玉と團子さんの善玉という若々しい組み合わせで話題を呼んでいます。はつらつとしたお二人の踊りは拝見していてとても楽しく、元気をいただきました。
三社祭といえば浅草のお祭りですけれども、この演目は一体なにがどう三社祭であるのか一見わかりにくいのではと思います。注目の演目ですので、この機会に少しばかりお話してみたいと思います。芝居見物や配信の際など、何らかのお役に立てればうれしく思います!
「善玉・悪玉」と山東京伝
三社祭(さんじゃまつり)は、1832年(天保3)に江戸は中村座で初演された「弥生の花浅草祭(やよいのはなあさくさまつり)」の一景です。作詞は二代目瀬川如皐、作曲は二代目清元延寿太夫が手掛けています。振付は初代藤間勘十郎、初演は四代目三津五郎・四代目歌右衛門です。
その三では、ざっくりと演目の内容をご紹介いたしました。
しかし、「善玉・悪玉」というものがかなり謎ではないでしょうか。健康意識の高い現代人にとって善玉悪玉といえばコレステロールや腸内フローラ、乳酸菌…というイメージですが、江戸時代の人々にとっては違った流行ネタとして捉えられていたようです。
そもそも「善玉・悪玉」というのは、1790年(寛政2)に出版された山東京伝の黄表紙「心学早染草」に登場した人間の魂の化身のようなものです。善魂(ぜんだましい)悪魂(あくだましい)が、やがて善玉・悪玉と呼ばれるようになりました。
「心学早染草」は、商家のお坊ちゃまである目前屋理太郎が強い悪魂勢力のしわざで遊興三昧、放蕩を重ねてしまい、盗賊まで落ちぶれてしまったのだが、善魂が勢力を巻き返して強化され、まっとうになるという、聞いたことのあるような筋の小説です。歌舞伎の演目の中にも悪魂にそそのかされたとしか思えない人々が数々出てきますね。
目新しい話ではないと思いますが、善魂・悪魂がこんな風に描かれたのがおもしろかったようです。(心学早染艸 山東京伝/国立国会図書館)
理太郎を女性へと引っ張る悪魂たちとひとり懸命に引きとめる善魂
盗みを働く理太郎をおおぜいで盛り上げている悪魂たち
善玉たちが悪魂を追い払い、理太郎も深く反省
顔に思いっきり「善」「悪」と描いてある小人が人の周りをうろうろしているというのはファンタジーのキャラクターのようで、おもしろいアイデアですね。
そもそも山東京伝の書いた善魂・悪魂の物語「心学早染草」は、江戸時代の庶民の間で流行していた「石門心学」を取り入れたものです。
心学を簡単に言えば、農民や町人の身分の差はそれぞれに与えられた役割にすぎず、人はみな平等なのだから、みな勤勉・倹約・勘忍・正直をモットーにそれぞれの役割に取り組みましょうねというような考え方です。身分では下層にあった商人の存在理由と、商業で潤うことの正当性を知らせるという意味合いもありました。いまでいう職業倫理のようなものでしょうか。
その教えを広めるうえで人の心を大切にし、人の心は善悪の二つの側面を持つと考え、儒教や神道・仏教などを取り入れながら実践的な道徳を人々にわかりやすく説いたのでした。近ごろはSDGsへの取り組みが広くアピールされるようになり、テレビ番組などではなかばブームのような勢いがありますが、もしかしたらこの感じに近かったのかなとも感じています。
さらに、山東京伝の「心学早染草」を舞踊に取り入れた人がいました。初演の四代目の養父・三代目三津五郎です。江戸随一の名人として人気を博した三代目三津五郎は、文化8年(1811)の「浮かれ坊主」にて、「悪」と書いたお面をつけて悪魂の踊りを披露したのだそうです。
これが「悪玉おどり」としてとにかく大流行したらしく、踊り方の指南書まで出版されたというのですから驚きです。 人々の間で、自分もあれを踊ってみたいというニーズがあったということですね。宴会の席などで披露されたのでしょうか。
葛飾北斎が挿絵を手掛けた文化12 (1815)刊の「踊獨稽古」にも悪玉おどりの踊り方が書いてあります。(北斎「踊獨稽古」より悪玉踊り(部分)国立国会図書館)
言わずもがなですが北斎先生の画力がすごいです。
北斎「踊獨稽古」より悪玉踊り(部分) 国立国会図書館デジタルコレクション
こうしてみますと、どうやら「三社祭」の魅力は、歌舞伎舞踊らしからぬ躍動感ある動きだけではなかったことがわかります。
①当時お馴染みだった「心学」の考え方、②山東京伝の流行本から生まれた「悪玉善玉」のキャラクターのおもしろさ、そして③先代の三代目三津五郎がブームを起こした「悪玉おどり」、という3つの要素を踏まえたうえで、③の流れを引いた人気の役者たちが勤めたことで、一層おもしろさが増していたのではないでしょうか。
参考文献:新版歌舞伎事典/日本舞踊曲集成/舞踊名作事典/日本舞踊ハンドブック