歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい松竹梅湯島掛額 その七 ざっくりとしたあらすじ⑥

現在歌舞伎座で上演されている十月大歌舞伎

第三部で上演されている「松竹梅湯島掛額」は、尾上右近さんが歌舞伎の名場面である櫓のお七をお勤めになり話題を呼んでいます。

笑いの要素が豊富で見ているだけで十分におもしろい演目ですが、詳細はややわかりにくい部分もあるかもしれませんので、この機会に少しばかりお話していきたいと思います。芝居見物や配信の際など何らかのお役に立てればうれしく思います。

吉祥院お土砂の場⑥

松竹梅湯島掛額(しょうちくばい ゆしまのかけがく)は、1890年(文化1)3月に江戸の守田座で初演された「其昔恋江戸染」と、1856年(安永2)に江戸の市村座で初演された「松竹梅雪曙」から、それぞれの名場面「お土砂の場(天人お七)」と「火の見櫓の場(櫓のお七)」をつないだ演目。江戸時代に実在した少女の放火犯「八百屋お七」を描いた数ある演目のうちのひとつです。

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古今名婦伝 八百屋お七 豊国 国立国会図書館デジタルコレクション

 

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松竹梅湯島掛額」の舞台で起こる事柄と内容についてお話しております。内容が前後したり、上演によって内容の変わる部分もありますのでその点は何卒ご容赦願います。

 

⑤では、欄間の天人とお七を入れ替えるという紅長さんの奇想天外なアイデアでお七がピンチを乗り越え、ついに吉三郎さんに思いを受け入れてもらうことができました。しかしいつまた範頼や家来たちがやってくるかわかりませんから、お七吉三郎さんは奥へ、紅長さんは次の方法の準備へ取り掛かります。

 

そんなところへ、お七探しを諦めない六郎武兵衛がまたしてもお堂へ乗り込んできます。お七はどこへ行った、どこだどこだとお坊さんに尋ねますが、驚くべきことに「お七もお母さんのおたけさんも亡くなってしまいました」と言われてしまいます。

なにィイと六郎達がお堂にある早桶(棺桶)を慌てて開けてみますと、なんと中からパワフルな死者が飛び出してきて、武兵衛が投げ飛ばされてしまいました。ゾンビ映画のようです。

ちなみに江戸時代の棺桶は座らせた姿勢のご遺体を収めたそうで、芝居でも丸い桶のようなものが出てきます。現代の棺桶とは違いますがよく考えればまさに桶ですね。

 

怒った武兵衛は、お堂にある「お土砂」を手に取って、パワフルな死者にかけてやります。するとアラ不思議、死後硬直しているはずの体がぐにゃんぐにゃんになってしまいました!

死者の格好をしてもう一つの早桶に潜んでいた紅長は、そんなお土砂の不思議を目撃したらすっかりおもしろくなってしまい、武兵衛六郎、さらにはお寺のご住職やお坊さんにまでお土砂をかけてまわり、みんなをぐにゃぐにゃにして楽しむのでした。

演目の中ではパーティーグッズのように愉快に使われていますが、そもそも「お土砂」というのは、真言密教の土砂加持で用いられる清めた白砂のことです。これをお墓やご遺体などにかけることで、亡くなられた方の罪が消えて体の死後硬直も和らぎ、極楽往生ができると考えられている神聖なものです。

 

そんなお土砂のどさくさのなか、お七はひとまず吉三郎さんと離れ、下女のお杉とともに我が家へと逃れていくのでした。

ここまでで吉祥院お土砂の場は幕となります。続く火の見櫓の場は次回にお話いたします。

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/歌舞伎登場人物事典/江戸の事件現場を歩く

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