現在歌舞伎座で上演されている十月大歌舞伎!
第三部で上演されている「松竹梅湯島掛額」は、尾上右近さんが歌舞伎の名場面である櫓のお七をお勤めになり話題を呼んでいます。
笑いの要素が豊富で見ているだけで十分におもしろい演目ですが、詳細はややわかりにくい部分もあるかもしれませんので、この機会に少しばかりお話していきたいと思います。芝居見物や配信の際など何らかのお役に立てればうれしく思います。
八百屋お七と四代目市川小團次
松竹梅湯島掛額(しょうちくばい ゆしまのかけがく)は、1890年(文化1)3月に江戸の守田座で初演された「其昔恋江戸染」と、1856年(安永2)に江戸の市村座で初演された「松竹梅雪曙」から、それぞれの名場面「お土砂の場(天人お七)」と「火の見櫓の場(櫓のお七)」をつないだ演目。江戸時代に実在した少女の放火犯「八百屋お七」を描いた数ある演目のうちのひとつです。
この演目の後半部分にあたる火の見櫓の場は、なんといっても八百屋お七の人形振りが大きな見どころかと思います。人形振りというのは、義太夫狂言において、役者さんが人形浄瑠璃の人形のような動きに似せて演じる技法のことです。動きが誇張され、舞踊のような華やかな効果があります。
この人形振りで表現されるのは多くが娘役の激情です。確かに八百屋お七の人形振りは、リアルな人間の動きではないのに不思議と、燃えるような激しい思いが生々しく伝わってくるように思います。
四代目市川小團次の八百屋お七 豊国(国貞) 国立国会図書館デジタルコレクション
現在に伝わる八百屋お七の人形振りの演出をを始めたのは、安政3年(1856)「松竹梅雪曙(しょうちくばいゆきのあけぼの)」の四代目市川小團次でした。
四代目小團次は、人形浄瑠璃の舞台さながらに黒衣を着た後見をつけて人形振りを披露したそうです、上のような浮世絵にも残っています。お七のただならぬようすが目に浮かぶようです。観客はさぞやおもしろかったことでしょう。
四代目市川小團次は大坂の子供芝居から役者人生をスタートさせ、関西圏で早替わりや宙乗りなどの技を披露し、人気役者としてのキャリアを着々と築いた人物です。
30代半ばからは江戸へ下り、河竹黙阿弥とタッグを組んで、鼠小僧などの世話狂言で活躍。江戸でも大芝居の座頭をつとめるほどのスターになりました。下級の役者からキャリアをスタートさせ、江戸の座頭にまで上り詰めるというのは、異例の出世であったようです。
さぞスター性があったのだろうと想像しますが、意外にも本人は体格にも声にも恵まれていなかったそうで、ひとえに肉体の鍛錬と演出の工夫によって人気を手に入れたのでした。素晴らしいですね。詳しい出世譚を知りたいところです。今後も調べていきたいと思います。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/歌舞伎登場人物事典/江戸の事件現場を歩く