ただいま歌舞伎座で上演中の壽初春大歌舞伎!
第一部で上演されている「一條大蔵譚 檜垣・奥殿」は、近年の上演頻度が高い演目です。過去にお話した回もありますが、この機会に改めてお話してみたいと思います。芝居見物や配信などでのお役に立つことができれば幸いです。
ざっくりとしたあらすじ⑦
一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)は、1731年(享保16)9月に文耕堂・長谷川千四の合作で大坂は竹本座にて初演された「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」という人形浄瑠璃の中の一場面。全五段ある鬼一法眼三略巻のうち、四段目にあたる場面です。
鬼一法眼三略巻は、軍記物語「義経記」に登場する鬼一法眼という陰陽師と、鞍馬山にいたという天狗・鞍馬天狗の伝説を題材とした能楽を取り入れたおはなしです。
大きな軸は「平家全盛の世、鬼一法眼・鬼次郎・鬼三太という三兄弟が、牛若丸(源義経)に協力して平家調伏を目指す」というもので、「一條大蔵譚」には三兄弟のうち鬼次郎が登場します。
七伊呂波拾遺 三略ノ巻鬼一法眼(部分)国立国会図書館デジタルコレクション
ざっと流れをご紹介いたしますと、
①平家全盛の世、源義朝の愛妾・常盤御前は義朝の子供たちを守るため平清盛の愛妾となり、さらには公家の一條大蔵長成の妻となった。
②一條大蔵長成は浮かれ暮らす世間でも評判の阿呆であった。
③一條大蔵の館に忍び込んだ源氏の中心・吉岡鬼次郎は、常盤御前の真意と一條大蔵長成の正体を知る。
というものです。
一條大蔵の阿呆ぶりというのは「作り阿呆」。つまり、世を欺くためにあえてピエロのようにふるまっているという大変複雑な人物像で、その本心を顕すシーンがみどころのひとつです。
複雑な部分もあるかと思いますので、お芝居の内容をお話してまいります。配役や上演のタイミングなど様々な要因によって内容が前後したり、細かい点に変更があったりします。その点は何卒ご容赦願います。
⑥では、都で一番の阿呆と評判であったはずの大蔵卿が、実は「作り阿呆」であったということが明かされました。平家全盛の世、源氏の血を引く大蔵卿は、生きて自分の目で源氏の再興を見ると決意し、あえて阿呆として世を欺きながら生きてきたのです。
そしてそれは平清盛のものになったように見せかけて義朝の子供たちを守ろうとした常盤御前の生き方とも通じ、吉岡鬼次郎とお京のとともに源氏再興への思いを確かめ合ったのでした。
そうして大蔵卿は、頼朝や牛若丸への伝言として短歌を吉岡鬼次郎に託します。
そこには、人々に慕われている平清盛の嫡子・平重盛が生きているうちは注意しなさい、源氏の白旗を上げるのは重盛が亡くなってからにしなさいというメッセージが込められていました。
横暴を極める清盛は言うには及ばず、重盛にこそ注意しろというのはいかにも知略に富んだ意見であり、大蔵卿の才知のほどがわかります。
そして、源氏の重宝・友切丸を吉岡鬼次郎に託して、牛若丸、すなわちのちの源義経に渡すようにと語りました。浄瑠璃や歌舞伎においては、源氏の刀は友切丸ということになっています。
江戸時代の人々も含めた我々は、源義経の活躍によって壇ノ浦で平家が滅ぼされることを知っていますので、ここに牛若に友切丸が託されたことで壇ノ浦に思いを馳せることができます。
そんなやりとりを見ていた鳴瀬は、夫・八剣勘解由のしでかしたことを詫びます。
そして、決して一つ心ではないと自らの忠義を証明するために、なんと短刀を突き刺して自害してしまったのでした。悲しいことですが、命を落としてまで証明したいものこそ忠義という価値観です。
一方で夫の勘解由はと言えば、「死んでも褒美の金が欲しい」と大蔵卿に食いつき、すっぱりと首を落とされてしまいました。この人物のどうしようもなさがよく表れている、素晴らしいセリフだと思います。落語のサゲのようですね。
そして大蔵卿は、清盛の首もこのようにしてしまいなさいと言って鞠のように放り上げ、再び阿呆へと戻るのでした。
ここまでで「一條大蔵譚」は幕となります。
大蔵卿の生きざまは、お勤めになる方の解釈によって少しずつ違いがあるように感じられるのがおもしろいところかと思います。特に吉右衛門さんの一條大蔵卿は、たくさんの芝居をつぶさにご覧になった大ファンの方が一番好きとおっしゃっていたものでした。ぜひ機会があれば舞台映像などご覧くださいませ。
参考文献:新版歌舞伎事典/かぶき手帖/日本大百科全書