歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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本日千穐楽 歌舞伎座 二月大歌舞伎 2022年2月

本日27日は歌舞伎座で上演されていた二月大歌舞伎の千穐楽でしたね!おめでとうございます!

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写真が下手すぎてすみません・・・

一世一代の知盛

本日はこのすえひろも歌舞伎座へ出かけまして、第二部を拝見してまいりました。

とにかく猛烈な、凄まじい、どう表現したらよいかわからない体験でした…。

拝見するたび仁左衛門さんの知盛の姿を通して、義経千本桜の奥、はるかなる平家物語の世界へと連れていかれ、どんどん深い場所へとはまっていくようでした。

義太夫の一語一句でも涙が出てきて、もはや仁左衛門さんのお芝居という感覚を越え、平知盛のことを思って泣いていたように思います。もちろん芝居はフィクションではありますが、確かに海の底には運命に翻弄された知盛や幼い安徳帝が眠っているのだと思うと、人の儚さ悲しさに涙がとめどなく溢れてきました。

 

仁左衛門さんが知盛をお勤めになった過去の舞台では、出陣の際の眼差しがもっと希望に燃えていたように思うのですが、今回の知盛では例え死しても義経を討つという悲痛な覚悟や不安が見えたように思います。幕切れ、碇縄が引かれていく最後のとき、合掌をして天を仰ぎ深く感謝するような姿からも、散って行った平家一門の姿が浮かぶようで、知盛の魂が救われることを心から祈りました。

義経千本桜というのは何を伝えようとしている物語なのでしょうね。もちろん江戸時代当時に具体的なメッセージを込めていたとは思わないのですが、現代人の胸を打つ何かがあるのだろうと思います。西海に沈んだ平知盛が、実は生きていた。しかし、やはり海へ消えていく。これが意味するところは何なのだろうとずっと考えていました。

仁左衛門さんの知盛からは、怨念から解き放たれる救いの瞬間が見えます。この安らぎと解放が、平家物語に累々と積み上げられた悲しみへの答えなのかなと、勝手な解釈ながら思いました。

 

今回も終演後の拍手が何分も鳴りやまず、案内の方が出てこられてもみなさま退場の動きもなく。まさかこの演目でカーテンコールはないと思っておりましたし、期待感を込めているような行動を示すのがはばかられたので列の最奥でじっとしておりましたところ、幕が開きました。大道具の片付けられた舞台の上に、お化粧を落とされ、楽屋着のお姿で平伏されている仁左衛門さんがいらっしゃいました。

 

自分自身の中では弁慶の法螺貝の音が響き渡る、その時間こそが知盛のすべてだったので、一世一代のあの幕切れの後にお出ましいただくというのが本当に心苦しいような、申し訳ないような思いがしました。

それでもお出ましになって下さったことはやはり猛烈に嬉しく、ありがたくて。頭と心が千々になるような思いでした…。これについては本当に賛否両論あるところで、ご本人の思いはわからないのですが、どうか喜びの時間であったと思いたいです。

素顔でお出ましになったところを拝見したことで、仁左衛門さんの舞台でしか味わうことができない知盛は、もうどこにもいないんだといよいよ思わされたと申しますか、何とも言えない複雑な感情でいっぱいです。ああ…。終わってしまったんですね。。

 

何はともあれ、このような状況において、千穐楽まで完全な形で全日程上演されたというのは本当に奇跡的なことと思います。仁左衛門さんが緻密に作り上げてこられた知盛の、本当に最後の姿を肉眼で拝見できたことがありがたく、生きていてよかったと心から思いました。言葉にできない思いで胸がいっぱいです。

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