昨日まで歌舞伎座で上演されていた二月大歌舞伎
第二部「義経千本桜 渡海屋・大物浦」は、片岡仁左衛門一世一代にて相勤め申し候と銘打たれた舞台でした。これはつまり仁左衛門さんが、主役の新中納言知盛の演じ納めをなさるという意味であります。もう二度と見ることのできない大変貴重な舞台が終わってしまいました。
この演目については以前にもお話したものがいくつかありますが、この機会に改めてお話しております。配信やテレビ放送があった際のお役に立つことができれば幸いです。
能「船弁慶」
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)は、「義経記」や「平家物語」などの古典作品と、その影響で生まれた謡曲などを題材とした演目です。
ざっくりといえば「壇ノ浦で義経に滅ぼされた平家のさむらい達が実は生きていて、兄頼朝に追われる身となった義経への復讐を誓う(が、叶わない)」という内容。これを、壮大な悲劇、親子の情愛などなど様々なテイストの名場面で描いていきます。
・栄華の極みから凋落し西海に散った平家
・才を持ちながら流転の身となった義経
この二つの悲しみ、世の中のままならなさは、江戸時代の人ばかりでなく現代人の感情をも突き動かすように思います。
全五段ある義経千本桜のうち、渡海屋・大物浦(とかいや・だいもつのうら)の場面は、二段目の中・切にあたります。舞台は壇ノ浦に滅んだ平家の運命を感じさせる荒涼とした海辺です。
簡単な内容としては、
①幼い安徳天皇を守りながら廻船問屋の主人に身をやつして生きてきた平知盛が、ついに義経を襲うチャンスを得るのだが、
②憎き義経の命を奪うことはできず敗れ、
③安徳天皇は義経に託されることになり、
④入水して果てる
というもの。血みどろになった知盛が、碇を巻き付けて海へと飛び込んでいく入水のシーンは壮絶かつ美しく、あまりにも悲しい名場面です。
新中納言平知盛卿 市川團十郎(九代目)豊原国周/国立国会図書館
これまで演目の内容をお話してまいりました(最下部にまとめ)。そのなかで能の「船弁慶」が元ネタのひとつであるということがちらほら出てきましたので、こちらについてもお話しておきたいと思います。
能の「船弁慶」は『義経記』や『平家物語』『吾妻鏡』などがルーツとしていて、あらすじとしては下記のようなものです。
①義経と弁慶たちは西国へ向かうため大物の浦にたどり着いた
②手配した船が出航し海上へ出ると、海はにわかに荒れ始める
③平知盛の幽霊が船を沈めようと襲い掛かるが、弁慶の祈りによって鎮まる
知盛の霊が襲い掛かってきたという時点で充分恐ろしいのですが、それが義経千本桜では「実は生きていた」という設定になったのですから、さらに恐ろしさが上乗せされて観客に驚きを産んでいたのではないでしょうか。
能「船弁慶」の詞章も興味深いので一部ご紹介します。
〽そもそもこれは桓武天皇九代の後胤 平知盛幽霊なり
との名乗りで知盛の亡霊が現れます。
〽その時義経、少しも騒がず、打物抜き持ち、現の人に向かふがごとく、言葉を交はし、戦ひたまへば
義経は少しも慌てずに知盛の霊と人として向き合い、言葉を交わし、戦いました。
弁慶はそれではかなわないからと、数珠を押し揉んで祈ります。
すると、怨霊は
〽引く潮に、揺られ流れて、あと白波とぞ、なりにける
と儚く消えてしまったのでした。この一節が何とも悲しく感じられます。
義経千本桜の知盛が碇とともに海の底へと消えていく衝撃的な自殺の描写は、この「あと白波とぞ、なりにける」に繋がっているのではないかと思います。
そういえば「大物浦」の場面で、相模五郎は幽霊風の衣裳をつけていたのに対し、入江丹蔵が渡海屋銀平のようなアイヌ風の柄の着物を着ていることに今さらながら気がつきました。不思議ですね。
今手元にある本のなかに答えが見つからずわかりませんが、もしかしたら入江丹蔵は義経襲撃の際、渡海屋銀平の影武者的な役割だったのでしょうか。叶うことなら仁左衛門さんにどうお考えか伺ってみたいですが夢のまた夢です。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/国立劇場上演資料集649/国立劇場上演台本/能楽名作選 下