ただいま歌舞伎座では六月大歌舞伎が上演中です!
第一部で上演されている「菅原伝授手習鑑 車引」はこれぞ歌舞伎というような屈指の名場面で、上演頻度も比較的高い演目です。これまでもお話してまいりましたが、お話し足りない点が多々ありますので少しお話してみます。芝居見物のお役に立てればうれしく思います。
過去にお話した回はこちらにまとめてありますのでよろしければご一読ください。
三つ子のその後① 桜丸「賀の祝」
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)は、1746(延享3)年8月大坂の竹本座にて初演された人形浄瑠璃の演目。翌月の9月には京都の中村喜世三郎座で歌舞伎として上演され、三大狂言の一つとして数えられる名作として現在に残っています。
全体としては「菅原道真の大宰府左遷」という歴史上の出来事に、三つ子ちゃん誕生の話題を織りまぜて作られた物語で、さまざまなケースにおける「親子の別れ」を描き出しています。
菅原伝授手習鑑全体の流れについてはこちらでお話しておりますので、よろしければどうぞ。
踊形容外題づくし 菅原伝授手習鑑車引のだん 豊国 国立国会図書館デジタルコレクション
全部で五段ある物語のうち、今回は三段目にあたる車引(くるまびき)の場面についてお話しております。名場面として有名なのですが、起承転結をもった物語らしい物語はありませんので、一体何の話が展開しているのかわかりにくい部分があるかもしれません。
そこで車引の内容について、詳しくお話してきました。
ざっくりとしたあらすじ
悲しいことに三つ子の運命は、続く「賀の祝」の場面で決定的に引き裂かれてしまいます。菅丞相が授けた家庭の幸せは、皮肉にも菅丞相の存在によって終わってしまいますが、最後の「寺子屋」の場面にて、隠されていた松王丸の本心が知れる…という構成になっています。名作とされるだけある素晴らしい構成です。
その後を知っていると車引の場面がよりおもしろくなるのではないかと思いますので、続きについて、かいつまんでお話してみたいと思います。
「賀の祝」の場面では、舞台が三つ子の父・四郎九郎こと白太夫(しらたゆう)の家に移ります。白太夫は菅丞相から許された名前で、70歳の古希を機にこの名を名乗っています。
菅丞相の所領・佐太村のお百姓である白太夫は、菅丞相の下屋敷を預かり、菅丞相が大切にしていた木のお世話をしています。この木というのが、三つ子の名前にもなっているこの物語のシンボル「梅・松・桜」なのです。
白太夫は古希の賀の祝を終えたらこの佐太村を離れ、菅丞相のいる大宰府へと渡る予定であり、この賀の祝が一家にとって最も最重なイベントとして位置づけられています。
そんな賀の祝当日のこと。白太夫が守る下屋敷に梅王丸の妻・春さん、松王丸の妻・千代さん、桜丸の妻・八重さんが集まり仲良くお祝いの支度をしているところへ、梅王丸と松王丸がやってきます。
「車引」の場面でもめていた梅王丸と松王丸は今も怒りが収まらず、取っ組み合いの乱闘騒ぎに。その拍子に、大切な桜の木が折れてしまいます。桜丸不在のなか不吉ですね。
そんなゴタゴタのなかで宴が終わり、梅王丸夫婦と松王丸夫婦が帰ったところへ、ようやく姿を現した桜丸。なにやら沈痛な面持ちです。自分の軽率な行動で、斎世親王と菅丞相に多大な迷惑の種を作ってしまったと考える桜丸は、「車引」の場面でも話していたとおり、すでに死を覚悟しています。そしてこの日、白太夫にも相談のうえで切腹、儚く命を散らしてしまうのでした。
梅王丸と松王丸の乱闘で桜が折れたのは、桜丸の運命を暗示していたのだね…という、切ない幕切れです。近ごろよく言われる伏線回収というものでしょうか。伏線回収ばかりがドラマのおもしろさではないと個人的には思いますが、沁みる描写です。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/日本大百科事典