大阪松竹座で先日まで上演されていた関西・歌舞伎を愛する会 第三十回 七月大歌舞伎
「関西歌舞伎を愛する会」とは、歌舞伎発祥の地・関西での歌舞伎興行が厳しい状況にあった時代、歌舞伎の関心を深め、関西文化の復興を目指して結成されたボランティア団体であります。
今回は第三十回の記念すべき公演です。東京では歌舞伎座公演が新型コロナウイルス感染によって中止となってしまったなか、無事に千穐楽まで上演された貴重な公演でした。
夜の部で上演されていた「堀川波の鼓」は比較的上演頻度の低い演目ですが、近松門左衛門の名作のひとつです。公演は終わってしまいましたけれども、この貴重な上演機会にぜひお話しておきたいと思います。
ざっくりとしたあらすじ⑤
堀川波の鼓(ほりかわなみのつづみ・「堀川波鼓」)は、宝永4年(1707)に大坂の竹本座で初演された世話物の浄瑠璃。江戸時代の偉大な劇作家のひとり近松門左衛門の作品で、大正3年4月中座で初演されるまで歌舞伎化されなかったレアケースです。そのため現在見ることができる舞台は新歌舞伎的な演出がなされています。それでも違和感のない、近代的なリアリティを持ったお話です。
「姦通」つまり不倫を題材とした近松門左衛門の「三大姦通物」のひとつで、実際の事件を題材としています。江戸時代の姦通は単に道ならぬ色恋ではなく、死罪になることと畜生道に堕ちることを覚悟しなければならない大きな罪でした。ひょんなことから人間関係にほころびが生まれ、大罪に至るプロセスが味わい深く描かれています。
「堀川波の鼓」は人形浄瑠璃を歌舞伎化した演目ですが、いわゆる義太夫狂言ではなくセリフもわかりやすいため、見ているだけで内容がつかめます。しかしせっかくの近松門左衛門作品ですので、床本集から元の浄瑠璃を少しずつご紹介しながら内容をお話してみます。現行の上演とは少し違う部分も出てくるかとは思いますが、その点はご容赦いただければ幸いです。またの上演や放送・配信などの際にはぜひ思い出しながらご覧になってみてください。
④では、序幕 第二場 同家茶の間の場面の後半をお話いたしました。
酒に酔ったお種のもとへ、かねてよりお種に横恋慕する彦九郎の同役・磯部床右衛門がやってきます。思いを叶えてくれないのであれば心中すると迫られたお種は、また後日…と思わせぶりなことを言ってその場を逃れました。
しかし、奥の座敷にいた宮地源右衛門がそれを聞いていたことがわかり、夫の恥となるのを恐れたお種は、どうか他言しないでほしいと頼み込みます。誓いの酒を交わすうち、ふとした気の乱れからお種は源右衛門と関係を持ってしまったのでした。
この過ちは
うたゝ寝枕仮初(かりそめ)の、縁の端また因果の端、うたてかりける契りなり
という浄瑠璃で表現されます。
場面は変わりまして、第三場 表街路の場面。忠太夫の家の表、暗い夜道です。
お種を諦めきれずに感情の高ぶった床右衛門が、そわそわとしながら家の周りに再びやってきます。恐怖ですね。
そこへ、浄心寺の覚念さんというお坊さんが提灯を片手にやってきました。床右衛門は「病気で江戸に行けなかった」ということになっていますから、覚念さんは心配して念仏などを唱えてくれます。真面目なお坊さんです。
こんな時間に覚念さんが忠太夫の家の近くまでやってきたのは、忠太夫からの「今夜は遅くなる」という伝言をお種に伝えるためでした。浄心寺の和尚さんと忠太夫は囲碁仲間で、今夜の対局が白熱しているようです。
これを聞いた床右衛門は喜んで、伝言は自分が承ると申し出ます。お種さんに会ういい口実だからです。そんな意図とは知らない覚念さんはお礼を言って立ち去っていきました。
再び場面が変わって、第四場 元の茶の間の場。先ほどお種が源右衛門にしなだれかかった場所に移りました。
お酒のせいで、しなだれかかったところ以降の記憶がなくなっているお種は、戸口から父・忠太夫の声がしたような気がして、ハッと目を覚まします。
我が身を見れば帯紐解き、男と添ひし乱れ床
と、何か過ちを犯したとしか思えない自分の様子に青ざめ、
南無三宝浅ましや…(中略)夢現(ゆめうつつ)とも弁へず、
酒を止まれと常々に、妹が異見を聞き入れず、
我が夫(つま)ならで一生に、覚えぬ男の肌触れて身を汚したか浅ましや
女の罪の第一にて、未来はおろかこの世の恥、
親兄弟まで名を捨つる身をいかんせん悲しやな。夢になつてもくれよかし
と、後悔に暮れて涙を流します。
脱いだ袴を片手に奥の座敷から出てきた源右衛門を逃がすためお種が戸を開けると、父と偽って中に入り、「不義者!」と言ってふたりの袖をつかんだ床右衛門。
源右衛門は走り去る拍子に片袖を引きちぎられ、動かぬ証拠をつかまれてしまったのでした。ここまでで序幕が終わります。きりが良いのでこのあたりで次回に続きます。
お種の行動と浄瑠璃を振り返りますと、夫彦九郎への思いしかなく、決して心が移ったのではないことはよくわかりますが、相手が源右衛門であっても床右衛門であっても、いずれこのような間違いが起こってしまいそうな危うさも漂っていたようにと感じます。
源右衛門にしても、間違いを起こす願望が全くないわけではなかったのであろうと思われるようなずるさ、最終的に「あなたが誘ったんですよね」と言い逃れしそうなずるさが感じられ、絶妙な描写だなと改めて思います。脱いだ袴を片手に家から逃げ去っていくようすは何とも言えぬ情けなさがあり、夢から醒めたような演出に唸らされます。
参考文献:名作歌舞伎全集 第一巻/日本大百科事典/床本集