ただいま歌舞伎座で上演中の八月納涼歌舞伎!
夏の人気花形公演「納涼歌舞伎」が、新型コロナウイルスの感染拡大以降久しぶりに歌舞伎座の舞台に戻ってきました!華やかな舞台に客席もにぎわい、以前の歌舞伎座の姿にまたひとつ近づいたことを実感することができます。
第一部で上演されている「闇梅百物語」は、近年それなりに上演のある舞踊です。役者さんの御子息方が育ってこられたこともあり、今後上演頻度が上がるかもしれませんので、この機会にお話したいと思います。芝居見物や配信など、何らかのお役に立つことができれば幸いです。
妖怪と「百鬼夜行」
闇梅百物語(やみのうめひゃくものがたり)は、明治33年(1900)1月に東京の歌舞伎座で初演された舞踊です。河竹黙阿弥の弟子・三代目河竹新七が作詞を手掛け、明治の名優・五代目菊五郎が初演を勤めました。菊五郎家の芸を補綴してお化け尽くしの変化舞踊とした愉快な舞踊で、とにかく見ているだけで楽しめる演目です。
演目のなかで、読売たちが現れてお姫様たちに「百鬼夜行」の物語を聞かせる場面があります。
「百鬼夜行」というのは、夜にありとあらゆるお化けや魑魅魍魎がぞろぞろと現れ、列をなして練り歩く…というおそろしいもの。平安末期の「江談抄(ごうだんしょう)」や「今昔物語」などからみられます。
民間においても広く信じられ、怪異に遭うことを恐れて、夜には外出を控えるなどされていたようです。私が想像するに、夜になって現れていたのはお化けや妖怪などではなく、自然の脅威や獣などの具体的な被害なのではないかと思いますが、昔の人々の自然観のなかでは、まぎれもなく怪異そのものであったのだろうと思います。
そんな百鬼夜行のパロディーのようにして作られたのが室町時代の「百鬼夜行絵巻」で、台所の道具や調度品などが付喪神となってうろうろしているようすなどが描かれています。
時代が下って江戸になりますと、もはや娯楽化されていたようで、キャラクター的な姿の妖怪が登場する浮世絵などが数多く出版されるようになります。怪異への恐れももちろんあったはずですが、おもしろが優先されていたのではないでしょうか。江戸の人は本当におふざけが好きだったのでしょうね。日常を楽しむ力に憧れます。
余談ですが、読み方について補足をいたします。
「百鬼夜行」は現代では「ひゃっきやこう」と読むこともあるそうですが、室町末期から近世初期までは「ひゃっきやぎょう」と読まれていました。そのためか、歌舞伎でも「ひゃっきやぎょう」の方を採用している場合が多いようです。これは場合により変動があるかもしれませんのでご了承ください。
参考文献:日本大百科事典/新版 歌舞伎事典/舞踊名作事典/日本舞踊曲集成