歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい秀山十種の内 松浦の太鼓 その二 ざっくりとしたあらすじ① 明日待たるゝ その宝船

ただいま歌舞伎座では秀山祭九月大歌舞伎が上演中です。

初代吉右衛門の芸を顕彰するため、昨年亡くなられた吉右衛門さんを中心に毎年九月に上演されていた「秀山祭」。古典の名作演目が並ぶ楽しみな公演です。今回は二世中村吉右衛門一周忌追善と冠し、吉右衛門さんの追善公演として上演されています。

第二部で上演されている「秀山十種の内 松浦の太鼓」は、初代吉右衛門の当たり役秀山十種に数えられているゆかりの深い演目です。吉右衛門さんの松浦候は本当に愛らしく、大きく、大好きでした。今月は吉右衛門さんの実のお兄様である白鸚さんが、初役でお勤めになっています。白鸚さんも、ご共演の方々も、特別な思いで舞台に立たれていることと想像します。

せっかくの機会ですので、この機会にお話したいと思います。芝居見物や配信など、何らかのお役に立つことができれば幸いです。

ざっくりとしたあらすじ① 明日待たるゝ その宝船

松浦の太鼓(まつうらのたいこ)は、1856年(安政3)5月江戸・森田座において初演された三代目瀬川如皐と三代目桜田治助合作による「新台いろは書始(しんぶたいいろはかきぞめ)」がルーツ。その後、明治に入り大阪での上演が繰り返されています。1878年(明治11)戎座で「伊呂波実記」として、4年後の1882年(明治15)角の芝居で「誠忠義士元禄歌舞伎」として、18年後の1900(明治33)朝日座で「松浦陣太鼓」として上演されています。

 

いわゆる赤穂浪士の討ち入りを題材とした忠臣蔵のアナザーストーリー「外伝物」のひとつで、ざっくりとした内容はこのようなものです。

①俳人の宝井其角はある日、落ちぶれた赤穂浪士の大高源吾に出会い、句を交わした

②後日、其角は松浦鎮信が開催した句会に参加。赤穂浪士たちがなかなか討ち入りをしないので、松浦候はご機嫌斜めである

③隣家の吉良邸より、にわかに陣太鼓の音が聞こえてくる

④松浦鎮延は赤穂浪士たちの仇討ちを覚る

「世の中みんなが赤穂浪士の討ち入りについて詳しく知っている」というのが前提の時代に作られたものですが、現代ではなかなかそうもいかないのではないかと思われます。

そのため演目の内容について、補足しながらお話してみたいと思います。実際の上演とは詳細が異なったり、内容が前後したりすることがありますので、何卒ご容赦ください。

 

そもそも赤穂浪士の討ち入りとは、いわゆる「忠臣蔵」と呼ばれている一連の仇討ちです。元禄年間、江戸城 松の廊下において、播磨赤穂城主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、吉良上野介(きらこうずけのすけ)に突然斬りかかった事件を発端としています。

 

この咎により浅野内匠頭は即日切腹、浅野家は取り潰し。家中は散り散りに浪人となる憂き目に遭いました。

浅野内匠頭が斬りかかったのは吉良上野介の不当なハラスメントによるものという話もありますが、幕府は事件に対する浅野側の正当性を認めませんでした。そのため、事件の前に駆け付けて荒ぶる主君を止めることができなかった家中の人々は、大きな無念を抱えることになります。

 

主君の無念を晴らすべく、浅野家家老の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)率いる浪士たちは、腐心のうえ敵討ちを画策。元禄15年12月14日の夜、両国の吉良邸に討ち入り、憎き吉良上野介の首を取ったのでありました。

主君の名誉のために命を賭して仇を討った浪士たちは「義士」とたたえられ、感動的な物語として人々の間に流布。「仮名手本忠臣蔵」をはじめとする様々なフィクションが生まれたわけです。

 

史実については諸説あり、捉え方も様々で賛否はあります。

しかし、江戸時代の人々の大多数においてはこの物語は美談と捉えられたようで、歌舞伎の多くの演目もその価値観に則っています。忠義の心こそが最も美しきものという価値観を前提においてみますと、様々な演目が受け入れやすくなるかと思います。

 

松浦の太鼓」は、赤穂浪士の吉良邸討ち入り前日~当日(元禄15年12月13日~14日)の物語です。

まずは序幕 両国橋の場 から始まります。

舞台は、雪の降る元禄15年12月13日の両国橋。ここへ、江戸の俳人・宝井其角がやってきます。するとどこからともなく煤竹売りの声がして、売り子の男が現れます。

実はこの煤竹売りは、赤穂浪士の大高源吾。かつて「子葉(しよう)」という俳名で其角から俳句を習っており、久しぶりの再会なのですが、なにやら気まずいようすです。

 

風流の道を知る源吾が、浅野内匠頭の刃傷事件により浪人となり、雪の降る中を煤竹を売って歩かねばならないという厳しい現実。其角は立ち去ろうとする源吾を呼び止め、少し話をしようと誘います。

 

源吾にはお縫という妹がいました。お縫は現在、平戸藩の藩主・松浦鎮信のお屋敷に奉公に出ているのですが、この就職を斡旋してくれたのが其角でした。

その際のお礼を言う源吾其角は、あなたももう一度仕官してはどうですかと勧めます。つまり武家に再就職したらどうですかということです。こうして浪人でいるよりもよい暮らしができる、何より武士として生きることができるからです。

 

しかしながら、源吾は再就職をする気はないようでした。町人の暮らしの方がましですよ…と語る源吾はひどい薄着で、かじかんでしまいそうなようすです。

それを見た其角はたまらなくなり、松浦鎮信から拝領した紋服をあげようとします。紋服いうのは、家紋入りのフォーマルなアウターといったところです。

 

源吾は「他家の衣服は…」とつぶやいて、辞退しようとします。しかし其角のせっかくの親切に、これを受け取ることにしました。

そしてまたとぼとぼと、煤竹を売る仕事に戻ってゆく源吾。どんな状況にあろうとも風流の道は忘れないでほしいと願う其角は、流浪する源吾に向かって一句を詠みます。

 

「年の瀬や水の流れと人の身は」

これを受けた源吾は、付句を詠んで返しました。

「明日待たるゝ その宝船」

はて、どういった意味であろうか…というあたりで次回に続きます。

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎登場人物事典/歌舞伎手帖/日本大百科事典

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