まもなく京都の祇園四条は南座で上演される京の年中行事 當る卯歳 吉例顔見世興行
京都の年末の風物詩である吉例顔見世興行。南座の玄関が役者さんの名前を書いたまねきで彩られ、祇園の街がにぎわいます。
第二部「玩辞楼十二曲の内 封印切」は、近松門左衛門「冥途の飛脚」を題材とした上方の和事を代表する演目です。中村鴈治郎家に伝わる家の芸で、今回は当代の鴈治郎さんが主人公の忠兵衛をお勤めになります。正しさだけでは生きていけない人間の弱さを描き出す名作で、いつまでも世の中に残ってほしい物語です。
「封印切」については以前こちらのブログで簡単にお話したものがございますので、後半部分の「新口村」と併せてここにひとつまとめてみます。何らかのお役に立つことができればうれしく思います。
そもそも冥途の飛脚とは
冥途の飛脚(めいどのひきゃく)は、1711年(正徳元年)に大坂は竹本座にて初演された近松門左衛門の作品です。約85年後の1796年(寛政8年)に大坂角の芝居で歌舞伎「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい・こいのたよりやまとおうらい)」として上演され、現在まで残されています。
もともとのお話はざっくりと3つのブロックに分かれており、今月上演されるのはその真ん中にあたる「封印切(ふういんきり)」の場面です。現在では「封印切」と最後にあたる「新口村」の二つの場面が繰り返し上演されています。
ざっくりとしたあらすじ
「封印切」の場面のざっくりとしたあらすじをお話したのがこちらの回です。古いもので内容が拙くお恥ずかしいのですが、流れだけでも掴んでいただけるのではと思います。
忠兵衛が失ったもの
取り返しのつかない罪を犯してしまった忠兵衛ですが、現代の感覚ではその罪の度合いがわかりにくいかもしれません。忠兵衛がしてしまったことがどういった意味を持つのかということをお話したのがこちらの回です。
現代では銀行員が女性のために多額のお金を横領したとしても死刑にまでなることはまず考えられませんが、江戸時代当時においては非常に重い罪でした。
その後の二人の運命
封印切上演の際に、ごく簡単に新口村の内容についてご紹介したのがこちらの回です。
客席まで凍えるような雪景色のなかで展開する悲劇の名シーン。機会があればぜひご覧になってみてくださいませ。