ただいま歌舞伎座で上演中の二月大歌舞伎
第三部通し狂言 霊験亀山鉾は、敵役の返り討ちを描いた鶴屋南北の名作。今回は片岡仁左衛門一世一代にて相勤め申し候と銘打たれての上演です。これはつまり、仁左衛門さんがこの演目をお勤めになるのはこれが最後であるという表明であります。
鶴屋南北作品は、冷酷で非道な登場人物や残酷な殺しの場面が大変魅力的なことで知られています。南北作品における仁左衛門さんの悪役は格別で、よく言われる「悪の華」という表現そのものです。
せっかくの機会ですので、霊験亀山鉾についてお話を少しずつ加えていきたいと思います。芝居見物や、配信、放送など何らかのお役に立つことができれば幸いです。
過去のお話はこちらにまとめてあります。古いもので内容が拙いのですが、よろしければご参照ください。
そもそも霊験亀山鉾とは
霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)は、大南北と呼ばれた江戸の名作者・鶴屋南北の作品。1822年8月に江戸は河原崎座で初演されました。
元禄年間に実際に起こった事件「亀山の仇討ち」を題材として、敵方による返り討ちという珍しい趣向で展開する物語です。敵の悪人が善なる人々をどんどん追い込み、次々と命を奪っていくという衝撃的な場面が続きます。そこへこちらも実際の殺人事件である「おつま八郎兵衛」の事件が絡んできて、物語がいっそう複雑に、おもしろく展開していきます。
歌川豊国 東海道五十三次之内 亀山 藤川水右衛門(部分)/国立国会図書館デジタルコレクション
二幕目⑥駿州にて 安倍川の返り討ち
霊験亀山鉾の原型は非常に長い物語ですので、私がお話するあらすじは仁左衛門さんの上演形式に則っています。補綴もいろいろあり、様々な条件で内容が前後したり、変わったりすることがあります。その点は何卒ご了承ください。
謎の理屈が展開し、多くの人物が複雑に絡み合うので、一見するとややこしく感じられます。しかしひとまず実際の舞台は「石井 対 藤田」にざっくり分けて捉えるだけでも内容を楽しむことができると思います。
まずは下記に全体の流れをご紹介いたしました、追って詳細をお話してまいります。
場面は変わりまして二幕目 安倍川返り討の場に移ります。
舞台は夜の川原の風景です。場所は、現在の静岡県の安倍川の土手です。きなこをまぶした安倍川餅で有名な土地で、安倍川餅のお店は浮世絵などにも描かれています。しかしながらこの場面はそんなのどかな雰囲気ではありません。雨音がザアザア、雷がゴロゴロと鳴っている、不穏なムードであります。
前の幕では「今夜藤田水右衛門が安倍川に来る」という情報を得た石井源之丞が急いで丹波屋を出たところでしたが、まだ到着していないようです。源之丞が来るより先に、掛塚官兵衛と伴介が安倍川原へとやってきました。
ここで交わされる二人の話から、先ほど丹波屋で起きたことはすべて、「源之丞をこの安倍川におびき寄せるために仕掛けた罠」であったことが明かされます。巻き込まれた一般人かのようにふるまっていた八郎兵衛も、実は藤田水右衛門サイドの人間であったのです。不器用なまでに敵討ちに向けての正式な手続きを重んじる石井家と、常にルールを逸脱して卑怯な先手を打つ藤田水右衛門という構図が続いています。
一方、安倍川原の土手では、川越し人足らしき二人組が農具を持って、えっほえっほと落とし穴を掘っています。川越し人足というのは、川の向こうへ行きたい人を担いで川を渡る肉体労働に従事していた人々の事です。
落とし穴とはもちろん、源之丞を亡き者にするためのもの。この二人組は、伴介から金で雇われ、殺人のための罠を作らされているのです。目先の金で買収され悪事に加担させられているという構図で、いつの世も変わらないのだなと思わされます。こうした描写からも、南北の作品の退廃が感じられます。
とそこへ、何も知らない石井源之丞と轟金六が、バタバタと大慌てでやってきました。大雨に打たれながら、藤田水右衛門はどこだどこだと必死に探します。
暗い夜の川原に毛躓き、うっかり提灯の火を消してしまう轟金六。そこへちょうどよく提灯を下げてやってきた深編笠の男に火種を借りようとしたところ、笠の内から覗いたのは、まさしく藤田水右衛門の顔でした。轟金六は藤田水右衛門の顔を知る唯一の生存者でしたね。
源之丞と金六はヤヤヤヤヤ!といきり立って刀を抜き、いざ尋常に勝負、勝負、と戦いを挑みます。正々堂々としたスタイルです。
このようすを見て、フハハハハハと不気味に笑う水右衛門。
貴様を町中で殺せば後の面倒になるから偽手紙でここまでおびき寄せたのだ、そうとも知らずにうかうかと、罠にはまった源之丞…とせせら笑いながら、鵜の丸の一巻を取り出します。そして「取れるものなら取ってみろ」と挑発。
「何を!」と飛び掛かろうとする源之丞と金六にバタバタと襲い掛かるのは、陰に隠れていた伴介や官兵衛、川越人足の二人組です。
源之丞は「待ち伏せをしていたとは何て卑怯な…!!」と責めますが、水右衛門には全く響きません。それどころか「卑怯なのはお前の方だ」と言い出します。
石井家の跡継ぎでありながら、町人のフリをしてスパイ活動をして、芸者のおつまにうつつを抜かした挙句、刀のさびで終わるとは呆れたことだな、早くくたばって失せろ、というのです。そして源之丞を残酷になぶり、斬り苛んだうえで、ずっぱりととどめを刺してしまうのでした。
そんなところへ石井家の下部袖介が通りかかり、主人の源之丞が殺されているのを発見。水右衛門から切りつけられて虫の息となった轟金六から「敵の藤田水右衛門から卑怯な騙し討ちに遭いました…」と聞かされます。
そうしているうちに金六はあえなく絶命。袖介は二人の遺体を片付け、主人源之丞の大切な刀「千寿院力王」、そして差添の鮫鞘「仁王三郎」を形見として回収。
そして「妹のお松とご子息の源次郎さまを守り、この刀で必ずご無念を晴らしてみせます…」と誓うのでした。そうなのです、女手ひとつでたくましく子供たちを育てていた源之丞の妻・お松は、この袖介の妹だったのです。
茂みに隠れていた藤田水右衛門が「千寿院力王」と「仁王三郎」を奪おうとするところ提灯を落としてしまい、あたりは真っ暗闇に。
そこへなぜか偶然通りかかった登場人物たちが暗闇のなかでジワジワと集結してきます。勢州亀山家の重臣・大岸頼母、丹波屋の女将・おりき、芸者のおつまといった面々です。そして暗闇のどさくさ、なにやらかにやらで、源之丞の形見となった鮫鞘の「仁王三郎」がおつまの手に渡るのでした。
ここの部分は「だんまり」といって、登場人物たちが暗闇のなか手探りに動くようすを様式的に見せる演出です。なんともいえず不思議な音と動きで、友人から「いきなりショーが始まったのかと思った」と言われたことがあります。確かにショーのように楽しめるおもしろいものです。このあたりで次回に続きます。
参考文献:新版歌舞伎事典/かぶき手帖/日本大百科全書/平成二十九年十月国立劇場歌舞伎公演上演台本霊験亀山鉾