早くも初夏のような陽気の日々ですけれども、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
今日は3月11日、東日本大震災が発生した日ですね。私は当時ちょうど大学の卒業式を控えておりまして、今でも町で袴姿の方々を見かけると、あの頃の不安な日々を思い出します。
震災及び関連の出来事にて命を落とされた方に心よりお悔やみ申し上げます。各地には今もなおつらい思いをされている方が大勢おいでのことと思います。時は容赦なく進んでいきますが、少しでも心安らかに過ごせますように。
またいつ大きな災害がやってくるかわかりませんので、備えを万全に、一日一日噛みしめて歩んでまいりましょう。
さて、先日のお話ですが、歌舞伎座へ出かけまして三月大歌舞伎の第一部を拝見してまいりました。備忘録として少しばかり感想をしたためたいと思います。
映画のような暴力描写
第一部「花の御所始末」は、昭和期の名作者・宇野信夫がシェイクスピアの「リチャード三世」に着想を得た作品です。足利家の暴君・足利義教が、将軍の座を手に入れるため父や兄などなど周辺人物を次々に殺害するというおそろしいお話です。1974年に現白鸚さんの主演で帝国劇場にて初演されています。
今回はご子息の幸四郎さんが主役の義教をお勤めになっています。珍しい演目なので楽しみにしておいでの方も大勢いらっしゃると思います。役者さんのご活躍などの詳細についてはお話を控えますが、亀鶴さんが本当におそろしくて震え上がったということは申し添えておきます。
とにもかくにも、大変ダークな愛憎劇でした…。私が出かけた日には高校生らしき団体の方がいらしていて、トラウマにならないだろうかと心配になったくらいです。
極悪人が次々に人を殺す歌舞伎といえばやはり鶴屋南北ですけれども、南北作品にちりばめられたユーモアというのは、見る側にとってもずいぶん救いになっていたんだなと感じました。
特に暴力描写がおそろしく、歌舞伎の様式ではなくリアリティのある暴力であったのでひぃ~となってしまい、やはり古典歌舞伎の様式というのは良くできたものなのだなと改めて思いました。音だけで暴力を想像させたり、間接的な表現による緊迫感の描写が使われていて、映画のようでもありました。
近代人、つまり「映画および映像を見たことがある人」の脚本というのは、やはり江戸時代人とは違うんだなと改めて感じます。今後はそういった視点でも新歌舞伎の芝居運びを見てみようと思います。
ここからは完全に余談ですけれども、WBCがおもしろすぎますね…!!毎日まるでスポーツ漫画ですけれども、現実なんですよね。
私はほとんどちんぷんかんぷんなのですが、ルールそのものががおもしろく、日々ワクワクしながらテレビ観戦しております。侍JAPANの方々の連日のご活躍ぶり、また世界の大谷選手がいま同じ東京都にいるという事実にも興奮しきりです。
思えば「侍JAPAN」という呼称はおもしろいですよね。サッカー日本代表もなぜか「青きサムライ」などと呼ばれていますよね。なぜにスポーツ選手を武士階級になぞらえるのか。町人JAPANや商人JAPANなどもいればおもしろいのですが。
現代の日本で公に戦いを行っているのは、確かにスポーツ選手です。ややもすると、天下泰平の江戸の武士たちよりも実戦経験が多いかもしれませんね。外国でもこういった独特の呼称文化はあるのでしょうか。気になっています。