今月の歌舞伎座では團菊祭五月大歌舞伎が上演されていました。
團菊祭というのは、主に明治時代に活躍した名優である九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の二人の功績を讃えるためのものです。いまに続く歌舞伎のスタイルと名作演目を数多く残された方々で、もしいらっしゃらなければ現在見ることができる歌舞伎の形は大きく変わっていたはずです。
今回の團菊祭の夜の部では名作「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」が菊之助さんによって上演されていましたね。こちらも五代目菊五郎ゆかりの演目です。それにちなみまして、これまでこのブログでも梅雨小袖昔八丈 髪結新三のあらすじをお話したところでした。
髪結新三の芝居は江戸にタイムスリップしたかのような風情であふれていますので、江戸時代に作られた作品のように感じますけれども、実際は明治6年の作品です。しかし、実は明治の作品だなあと明らかにわかる要素がいくつかあるんですね。
最もわかりやすいものは、実際の事件を題材にしているにも関わらず「実際の地名・人名がそのまま堂々と使われている」という点です。
江戸時代は幕府の締め付けが強く、実際の事件を題材にする場合は場所や時代設定を移したり、登場人物の名前を変えたりといった工夫が必要でした。
たとえば、赤穂浪士の討ち入りを題材とした仮名手本忠臣蔵では、大石内蔵助を大星由良之助と微妙にもじるというおもしろいことになっています。世話物においても、江戸っ子丸出しの人々がいるのに、雪の下、稲瀬川などの鎌倉近辺の地域を舞台とすることがお馴染みですね。
どう考えてもバレバレなのに形だけでもルールに従うことで黙認されていたのか、それとも大真面目にそれで良しとされていたのか、実際のニュアンスが良くわからないのですが。とにかく「この物語はフィクションです」という表明かのように、地名や人名をにごすことが大前提でした。
ところが髪結新三では、永代橋、富吉町、深川閻魔堂橋などの実際の地名、白子屋のお熊という実在の人物が堂々と登場しているんですね。
というのも明治に入ってからの歌舞伎は、貴人や外国人も見るものだという視点が重視され始めたからです。いわゆる「狂言綺語」を廃し、史実第一主義で作れというお達しがあったんですね。さらに、濡れ場や殺しは控えめに淡泊にせよ、ためになる話にせよ、という理念が生まれました。
三人吉三のようなドロドロと渦巻く下層社会を描いていた黙阿弥も、明治に入ってからサッパリとした作風に変わっているのはそのためです。とても慎重な方であったそうですから、時代のルールに都度真面目に従っていたのだろうと想像されます。
同じ黙阿弥の「河内山」も同じですので、上演機会があればぜひ明治感も感じながらご覧になってみてくださいませ。
参考文献:名作歌舞伎全集 第十一巻