ただいま歌舞伎座で上演中の三月大歌舞伎!
夜の部「引窓」のお話を少しばかりしております。
なにかのお役に立てればうれしく思います(人'v`*)
濡髪長五郎の由来
江戸時代の終わりを生きた浜松歌国という歌舞伎作者が書いた「摂陽奇観」という随筆によれば、
濡髪長五郎というのは、もともと上州沼田の藩士で手跡指南、いわゆる学校の先生のようなお仕事をしていた人の息子なのだとか。
成長し立派なおすもうさんになりましたが、たいそう喧嘩を好む男でもありました。
そのためいつも水に濡らした紙をおでこに貼りつけて、いきなり斬りつけられてもケガをしないようにしていたのだそう…
そこから「濡髪」という名前になった、とのこと!Σ('0'o)
冷えピタを貼っているようなようすだったのでしょうか、斬新な用心の仕方ですね。
「摂陽奇観」は「双蝶々曲輪日記」ができてから随分経ってから書かれていますから、本当かは分かりかねますがおもしろいお話です(´▽`)
余談ですけれども、「當穐八幡祭(できあきやわたまつり)」という演目に”濡髪のお静”という女の人が登場します!
この人は女髪結なのですが山崎屋与次兵衛に頼まれ、芸者だと偽って吾妻の身請けのお手伝いをし、
人殺しをしてしまった山崎屋与五郎をおうちにかくまってあげると云々…と、
なんだか「角力場」で知った名前ばかりがでてきますねΣ('0'o)
それもそのはず
この「當穐八幡祭(できあきやわたまつり)」というのは「双蝶々曲輪日記」の書替狂言(かきかえきょうげん)でありました。
書替狂言というのは、いわゆるスピンオフ作品のこと。
有名な作品から題材を借りてきて、新しく脚色したお話のことであります。
当時のお客さんたちは現代とは違い、みんなの共通認識として芝居の筋書をよーく知っていました。
そんな当時の人々にとって書替狂言は、
\あれはこう、これはああのはず、おっ!そう来たか!/
と、親近感と驚きを同時に味わうことができ、たいそう人気だったそうですよ。
今のテレビドラマなどとそう変わらない楽しみ方ですから、江戸時代の人々をより身近に感じますね(´▽`)