歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

広告

ストリートビューで歌舞伎ゆかりの地に行ってみた 色彩間苅豆 編

新型コロナの外出自粛期間に始めた「Googleストリートビューで芝居の舞台となった場所とその周辺を訪ねてみる」という遊び。本日もひとつ訪ねてみようと思います。ゆるゆるとした旅ですがみなさまもぜひご一緒にいかがでしょうか。

先日千穐楽を迎えたばかりの九月大歌舞伎にちなみまして、第二部「色彩間苅豆」ゆかりの地をうろうろしてみたいと思います。行き当たりばったりのうえ、事情があり画像そのものを貼ることができず地図埋め込みとなりますが、何卒ご了承くださいませ。

前回: 双蝶々曲輪日記 引窓 編

www.suehiroya-suehiro.com

色彩間苅豆とは

色彩間苅豆」は、江戸時代の有名なゆうれいであったかさねという女性の伝説にちなんだ清元舞踊の作品です。

かさねは年上の男性・与右衛門と道ならぬ恋に落ちてしまい、一緒に死のうと決心するものの、実は与右衛門はかつて自分の母と不義密通のうえ父を鎌で斬殺した男であったことを知ってしまいます。やがてかさね自身に親の恨みが乗り移り、顔貌が変わり足も不自由になり、無惨にも与右衛門に殺され怨霊となってしまうという内容です。

おどろおどろしく仕上げられている怪談の演目とはいえ、一人の女性の悲しい物語ですので、今回はかさねさんを弔う思いで旅してみたいと思います。

さっそく行ってみましょう

かさねの伝説は鬼怒川沿いに伝わるものですが、実はゆかりの地が東京は目黒にあるそうです。東京の東部の下町育ちのこのすえひろには縁遠いおしゃれエリアで緊張いたしますが降り立ってみます。この祐天寺駅の近くですね。

駅近で1階にコンビニのある良い感じの物件を見つつ祐天寺を目指します。

そもそも鬼怒川に伝わるかさねの伝説というのは、このようなものです。

浄土宗の僧・祐天の霊験譚『死霊解脱物語聞書』(1690)による

累(かさね)は下総国岡田郡羽生村に、足に障害をもち容姿にも恵まれずに生まれた。嫉妬深かった累は夫の与右衛門に殺されたのち怨霊となり、夫の後妻をはじめ一族を次々に殺してしまう。

累は後妻の子・菊に乗り移ったが、偶然居合わせた僧侶・祐天の法力によって解脱。祐天により、累の身に起こった数々の不幸は、醜さのあまり父親に殺された異母兄弟「助」の怨霊の働きによるものだったことが明らかになった。

参考:朝日歴史人物事典

怨霊に怨霊がかさなってしまう、悲しみの連鎖というようなつらい物語であります。

実は、偶然居合わせてかさねを成仏させた祐天上人を開祖とし、高弟が建立したのがこの目黒の祐天寺なのだそうです!

祐天上人は若いころたいそう出来の悪いお坊さんであったそうですが改心し、修行に励んで各地を念仏布教して尊信を集め、幕府より増上寺36世を命じられ大僧正になったという立派な方であります。

少し遠巻きですがバーチャルお参りをいたします。

 

境内には「累塚(かさねづか)」があるらしいのですが残念ながらストリートビューでは見つけることができませんでしたので、目黒区の観光・防災ポータルの写真をご参照ください。

大正15年(1926)に六代目梅幸、十五代目羽左衛門、五代目清元延寿太夫によって建立されたものだそうです。現代の歌舞伎役者の方々や清元演奏家の方々も参拝に訪れる場所であります。

meguro.kokosil.net


実は茨城県に累とその一族が祀られ実際のお墓もあるという法蔵寺というお寺、また鬼怒川を眺める「累ヶ淵」なる場所があるのですが、残念ながらgoogleストリートビューに掲載がありませんでした。実際の人であることが感じられなんともやるせない気持ちになります。

「色彩間苅豆」だけでなく落語の「真景累ケ淵」などさまざまな物語に仕立てられてきた累とその一族が、いま安らかであることを願うばかりであります。

Copyright © 2013 SuehiroYoshikawa  All Rights Reserved.