歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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八代目襲名記念!【中村芝翫】という名跡 その五

ただいま歌舞伎座で上演中の…

中村橋之助改め八代目 中村芝翫 襲名披露
中村国生改め 四代目中村橋之助     
中村宗生改め 三代目中村福之助 襲名披露
中村宜生改め 四代目中村歌之助   
芸術祭十月大歌舞伎!

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八代目芝翫の襲名披露にちなみ芝翫という名跡のこれまでを振り返ってきましたが、今日のお話でひとまず納めたいと思います(人'v`*)

その四は江戸から明治を生きた四代目芝翫のお話でしたね。

 

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ここからぐっと現在に近づきまして、今日は新芝翫さんのお父様である七代目芝翫のお話です! 

先代芝翫さんの思い出

七代目芝翫は昭和3年(1928)〜平成23年(2011)という、長い長い昭和から平成への時代を生きた方です。歌舞伎座の新開場を前にしてこの世を去られましたが、前歌舞伎座のさよなら公演では元気なお姿が拝見できました。

このすえひろもかろうじて拝見できまして、その頃は何もわからぬままひたすら歌舞伎を見ていたころでしたので本当に感覚的なものですが、あの古風なお顔立ちを「なんだか好きだなあ」と思っておりました。

特によく覚えているのは娘の役をなさっていたときのあどけなさ、可愛らしさです。実際の年齢を知り、仰天してしまった時のことが思い出されます(n´v`n)

七代目の生い立ち

七代目芝翫は五代目福助の子として生まれ、5歳の時に四代目中村児太郎を名乗り初舞台を踏みます。

五代目歌右衛門の甥でもあり、女形の名門・成駒屋の跡取りとして大切に育てられましたが、五代目福助も五代目歌右衛門も早くにこの世を去り、わずか12歳ですべての後ろ盾を亡くしてしまうという大変な苦労をなさった方です。

五代目歌右衛門の遺言で六代目菊五郎に師事することとなり、昭和16年に七代目福助を襲名なさいました。劇聖九代目團十郎の薫陶を受けた名優・六代目菊五郎直伝の芸を直伝で受け継がれた方です。

そんな古風で格調ある貴重な芝居を、病を押してほんの数年前まで見せてくださっていたということは、私たち歌舞伎ファンにとっても大変ありがたいことです。

思い出や残された映像をずっと大切にして、この先の芝居を楽しんでゆきたいですね(/_;)

歌舞伎界のビックファミリー

そんな芝翫さんのご長男が当代福助さん、ご次男が先代橋之助の当代芝翫さんであり、次女の好江さんは十八代勘三郎さんに嫁がれました。

勘三郎さんの家には勘九郎さん七之助さん、

福助さんの家には児太郎さん、

そして当代芝翫さんには橋之助さん・歌之助さん・福之助さんという三人の御子息がおいでというわけで、

たくさんの歌舞伎役者を後世に遺すというたいへんな偉業を遂げられています。

襲名とは…

七代目芝翫さんは生前・当時の橋之助さんに芝翫の名跡をというお話をなさっていたそうですが、

新芝翫さんは9月27日の読売新聞のインタビューで

橋之助の名でやり残したことはない。

ただ、芝翫という名を継ぐにあたって喜びがあると同時に

(心の内で)父の名前が薄くなって消えていってしまうようで、ちょっとさみしくもある

という発言をなさっており、

その胸の内は私のような者にわかるはずもないのですが、思わず目頭が熱くなりました。。

 

これまで歴代芝翫の名跡を少しだけふりかえってみましたが、いかがでしたでしょうか(人'v`*)

先日テレビ番組で新芝翫さんが「会社を受け継いだような気分(意訳)」とおっしゃっていたように

単純にお名前が変わるだけでなくて

これまでのお一人お一人に物語と受け継いできた芸があるのだな…

ということを、運よく襲名のタイミングに立ち会うことのできた私たち歌舞伎ファンも噛みしめていたいですね(n´v`n)

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