遅ればせながらこのすえひろも歌舞伎座へ出かけ、
秀山祭九月大歌舞伎を見てまいりました!
今回の夜の部「幽玄」は新作のため、
楽しみにしておいでの方も大勢のことと思いますので
この先をお読みいただく際にはどうぞご注意くださいませ。
この先ご注意ください
一日見物しまして、やはり一番記憶に残っているのは
吉右衛門さんの夜の部「俊寛」です…!
幕切れの時の姿から漂っていた、
恐ろしいくらいの虚無が今も目に焼き付いています…。
悲壮も絶望も超えて、もはや「無」です…全身で圧倒されてしまいました…。
博多で拝見した仁左衛門さんの俊寛の記憶が新しいため、
見比べる気持ちで拝見いたしましたがやはりお二人は全く味わいが異なり、
どちらもが、もうとんでもなく素晴らしいな、
ああこの世に生まれてきてよかった…と感涙の極みでありました…!
仁左衛門さんのお芝居ですと、
お顔のしわの一本一本までが芝居をなさっているように感じ
オペラグラスでくまなく拝見したくなるため、
通常高倍率のオペラグラスを使っているのですが
吉右衛門さんの場合は全身から漂う気配がたまりません。
もう少し倍率の低いオペラグラスを購入しようかなと思った次第です。
また、今もっとも気になっているのは夜の部「幽玄」であります。
こちらは玉三郎さんと和太鼓グループ鼓童が
能の演目を新作歌舞伎舞踊に仕上げた演目のようでした。
この演目の音楽を構成しているのは基本的には和太鼓なのですけれども、
なぜなのか西洋音楽に聞こえてきたのです。
和音での謡の部分は、グレゴリオ聖歌のようにも聞こえ、
なんだかとても不思議な思いがしました。
タカタカタカタカと規則的なリズムを打ち鳴らす和太鼓に乗せた舞踊は、
通常の日本舞踊とは異なるダンスのようにも見えました。
近くの座席の外国の方が、大喜びなさっていたのも印象的でした。
そんな「幽玄」を拝見していて、
「考えてみれば「リズム」や「メロディ」という概念がそもそも、
歌舞伎の舞台の上には存在していないものだったのか!」
という新たな発見がありました。
もちろん長唄も竹本なども音楽ではあるのですけれども、
いわゆるハモリであったり規則的なリズムのような
西洋音楽的な考え方は存在しないのだという意味であります。
考えてみれば、「リズム」も「メロディ」も持たずに
劇場音楽として成立しているというのはすごいことですよね!!
「リズム」「メロディ」というのはつまり、
「みんなで同じことをしましょう」という指針なわけですから、
もし西洋音楽のミュージカルにリズムやメロディが存在しなければ
ちぐはぐで音痴な、とても見ていられない舞台になってしまうはずです。
演者の間合いや呼吸であったり、
その楽器そのものが持つ生き物のようなノイズ、
そして根底に浄瑠璃というおはなしの世界があるから、
「リズム」も「メロディ」もなしに豊かな劇場音楽が成立しているんだ…と
そもそも「幽玄」には使われていない三味線音楽にひとり思いを馳せました。
今日は久しぶりに歌舞伎座で濃い古典歌舞伎にどっぷりと浸かることができ、
たいへん楽しく、またしあわせでした。
近ごろは忙しくしておりますが、やはり歌舞伎は必須栄養素だなと思います!