昨日まで歌舞伎座で上演されていた吉例顔見世大歌舞伎
第二部「寿曾我対面」は十代目十世 坂東三津五郎七回忌追善狂言としての上演で、御子息の巳之助さんがゆかりの曽我五郎をお勤めでした。菊五郎さんの工藤祐経、時蔵さんの十郎、雀右衛門さんの大磯の虎といった豪華な配役の素晴らしい一幕でありました。
この演目についていろいろ調べていたところ様々な素晴らしい浮世絵に出会いましたので、この機会にぜひご覧いただきたく、ご紹介いたします。ご興味をお持ちでしたらお付き合いください。
歌川広重の曽我物語シリーズ「曽我物語図絵」
そもそも寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)は、江戸時代に人気を博した曽我物語(そがものがたり)を題材とした演目。曽我兄弟が工藤祐経に会う、つまり対面するというだけの場面で、単に「対面」とも呼ばれます。歌舞伎で対面と言えば、この演目のことを指します。
曽我物語というのは、曽我十郎・五郎という兄弟が、亡き父・河津祐通の仇である工藤祐経を富士の裾野で見事討ち果たすという敵討ちの物語です。鎌倉時代初期に起こった実話を基にしていると伝わります。
そんな曽我物語は歌舞伎や浄瑠璃などの芸能の題材だけでなく、さまざまなジャンルの浮世絵のモチーフとしても大人気だったようで、東海道五十三次でお馴染みのあの歌川広重も描いていたようです。
歌川広重といえば抒情的な風景画の名手として有名な浮世絵師であって、役者絵や美人画などの人物画を描いている印象は薄いものの、曽我兄弟の表情はとても魅力的に描かれています。
広重が描いたのは、大判錦絵30枚揃の「曽我物語図絵」(弘化年間1844~47)というシリーズです。広重が描いた絵の上の部分に柳下亭種員がストーリーを書いて、曽我物語の出来事を辿るという内容であったようです。本当は30枚あるのですが、歌舞伎の曽我兄弟を彷彿とさせるような場面をいくつか抜き出してご紹介いたします。
5枚目
箱王丸という名だった幼いころの曽我五郎が、箱根権現の稚児 閉房丸と力比べをしている場面です。左手の閉房丸がヘトヘトなのに対し、右手の箱王丸は岩のようなものを抱えて平気な顔をしています。三方をバキバキに破壊する五郎らしい幼少期です。
6枚目
箱根権現の稚児となった箱王丸が、参詣の工藤祐経と対面する場面です。
幼いものの、歌舞伎の「対面」の五郎のイメージそのままな表情と態度ではないでしょうか。
9枚目
箱根権現を脱出した箱王丸は元服。父の弔いのために出家してほしいと思っていたお母さんの満江が怒っていて、十郎が止めに入っているシーンです。この十郎、おなじみのポーズですよね。
21枚目
巻狩の陣中で開かれた工藤祐経の酒宴の座敷で、見とがめられた十郎が舞をひとさし舞っている場面です。これはおそらく「寿曽我対面」のモチーフとされている、仇討ち前夜の場面ではないかと思います!
ようやくたどり着いた憎き仇の前で舞を舞っているのですから、その胸中いかばかりというところです。五郎なら飛び掛かっていると思いますが、十郎というのはつくづく内に秘めるタイプなんですね。
(画像はすべてシカゴ美術館のパブリックドメイン公開作品です)
参考文献:歌舞伎登場人物事典/小田原市/シカゴ美術館