この週末、国立劇場へ出かけ、
2月文楽公演の第二部と第三部を拝見してまいりました!
日頃歌舞伎を楽しんでおりますと、たまに見る文楽が大変新鮮で、
お芝居の世界がぐっと奥行きを持つように思います。
近松の姦通ものと、文楽の阿古屋
第二部は初めて拝見する「大経師昔暦」
これは人妻がひょんなことから夫以外の男性と間違いを犯してしまうという
近松作の非常にスキャンダラスなおはなしです。
場内の照明も薄暗くなり、ドラマチックな三味線の音、スリリングな語り、
見ているこちらもドキドキしてしまうような内容でありました…!
伝統芸能というとお堅いイメージを持たれる方が多いのですが、
こうした色っぽいお話もいろいろとあり、女性がすごいことを言っていたり、
イメージのギャップもおもしろいですね。
第三部は「鶊山姫捨松」と「壇浦兜軍記」
壇浦兜軍記は昨年末歌舞伎でも上演された阿古屋琴責の段、
文楽では初めて拝見いたしました。
琴・三味線・胡弓の三曲を、床で三味線の方が演奏なさり、
人形の動きもその調べとぴったりと合っていて、演奏の迫力に大興奮いたしました!
床も見たい、人形も見たい、阿古屋の人形は少し床から遠い、という葛藤で
きょろきょろきょろきょろとせわしない見物になりました。
歌舞伎と文楽を短期間で見比べることができるというのは非常にうれしいことです。
玉三郎さんの岩永の見事さを時間差で実感できました。
文楽を拝見するたびにつくづく、上方の人たちはよくこんなにもディープなお話を
わざわざ人形に演じさせようと思ったなあ…と思います。
世界の伝統的人形劇というと、題材は神話であったりおとぎ話であったりして、
昼ドラさながらのストーリー展開のものというのはなかなかないのではないでしょうか。
倒錯的で不思議なようにも感じますけれども、
命のない人形だからこそこのようなどろりとした肌触りの物語の中にも
見る人を没入させることができたとも考えられます。
そう考えるとたいへん巧みな演出術だなあと、当時の人々への尊敬の念が湧いてきます。