ただいま歌舞伎座にて上演中の吉例顔見世大歌舞伎。新型コロナウイルスの感染防止対策として幕間なしの各部完全入れ替え、四部制にて上演されています!
第四部で上演されている「義経千本桜 川連法眼館」は三大狂言のひとつにも数えられる名作で、今月は獅童さんが主役の源九郎狐をお勤めになっています。
何度も上演されている人気演目にもかかわらずあまりお話していないことがずっと気になっておりましたので、この機会に少しばかりお話してみたいと思います。お出かけの際や次回のご見物の際、簡単な予習などにお役立ていただければ嬉しく思います。
初音の鼓=源九郎狐の両親
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)は、三大狂言のひとつにも数えられる名作。人形浄瑠璃として1747(延享4)年11月 大坂は竹本座で初演、その直後の1748(延享5)年1月 に伊勢の芝居で歌舞伎化され、5月には江戸の中村座でも上演、その後現在に至るまで愛され続けているというメガヒット作です。
前回から「川連法眼の場」のざっくりとしたあらすじをお話しております。上演のタイミングや配役などさまざまな要因によって内容が前後したり変わったりカットされたりいたしますので、その点はご了承ください。
③では、自分のお供をしていた佐藤忠信らしき人物が実は狐であったという衝撃の事実に気づいてしまい、静御前が戦慄するところまでをお話いたしました。
「さてはそなた、狐じゃな!?」と言われてしまった佐藤忠信らしき人物は、コーンと鳴いてもとの子狐の姿に戻り、しおしおとこれまでの経緯を語り始めます。
子狐いわく、桓武天皇の時代に世の中が大干ばつに襲われ、宮中で雨乞いの儀式が執り行われることとなったのだとか。
その儀式に使われるために作られたのが「初音の鼓」。大和の国に住んでいる千年の寿命をもつという不思議な夫婦の狐の生き皮を使ってこしらえられた、貴重な品物であったのだそうです。
そして、まさにその夫婦の狐の子こそが、私自身なのです…と明かした子狐。親の恩に報い孝行がしたいと思っても両親はすでになく、野狐と蔑まれ、つらい思いをしてきましたと切々と語ります。
それから数百年の時を経て後白河法皇から義経に初音の鼓が授けられ、長らく宮中にあった初音の鼓が外に出ることとなったのです。数世紀をつらくさびしく過ごしていた子狐は、これをチャンスと佐藤忠信に化け、親そのものともいえる初音の鼓のそばにいたい只その一心で、静御前にお供していたのです。
しかしながら、現状その思いのために、本物の佐藤忠信に迷惑をかけてしまっているのも事実でした。
もうこれ以上執着して追いかけてきてはいけませんよと親鼓も言っていると思います…義経さまから「源九郎」の名前をいただけただけでも、私は幸せ者でした…とだけ言い残して、源九郎狐はどこかへ姿を消してしまいました。
すると奥でそのやりとりを聞いていた義経が現れ、源九郎狐をもう一度呼び戻してくれと静御前に頼みます。静御前も改めて初音の鼓を叩きますが、不思議なことに鼓の音が全くしなくなってしまいました。
叩いても叩いても、うんともすんともいわない鼓。そのようすを見ていた義経は、なぜかしくしくと涙を流し始めたのです。
一体どうしたのだろうか?というところで次回に続きます!
参考文献:新版歌舞伎事典・増補版歌舞伎手帖・床本集・国立劇場上演台本