ただいま歌舞伎座で上演されている二月大歌舞伎!
第三部「連獅子」は、十七世中村勘三郎三十三回忌追善として上演され、勘九郎さんとご子息の勘太郎さんが共演なさっている記念の一幕です。9歳での連獅子は史上最年少ということですが、体の大きさ以外でそれを感じさせないすばらしい舞であります。
今月に限らず連獅子は襲名披露や親子共演などの記念の一幕であることが多く、近年も非常に高頻度で上演されているにもかかわらず、しっかりとお話したものがほとんどないことが長らく気になっていましたので、これを機にお話を加えていきたいと思います。
初めてご覧になる方にとってなんらかのお役に立てれば幸いです。
3つに分けてざっくりと把握
連獅子(れんじし)は、幕末から明治にかけて活躍した名作者の河竹黙阿弥が作詞を手掛け、1872年(明治5年)に東京の村山座で初演された演目であります。
そこからさらに30年近くの月日が流れた1901年(明治34年)に東京座で上演された際の演出において、能舞台を模した「松羽目」や間狂言の「宗論」といったものが採用され、現在見ることのできる連獅子の形式になりました。
連獅子は歌舞伎と聞けば外国の方でも思い浮かべるような演目であり、さらに歌舞伎といえば江戸時代のイメージが強いので、明治時代に生まれたというのは少し意外かもしれません。
当盛見立三十六花撰 石橋の牡丹富貴三郎 豊国
国会図書館デジタルコレクション
内容は、ざっくりと3つのブロックで把握することができます。
①前シテ 狂言師
手獅子を持った狂言師の右近と左近が中国清涼山に伝わる獅子の伝説を描き出します。
親獅子は我が子をあえて谷底に突き落とすが、子獅子はそれに応えて必死に谷を駆け上がり、見事に再会するという、厳しくも愛ある子育てのシーンであります。
舞台では実際の親子の共演が多いので、役者さんご自身の背景の物語がより一層の感動を呼び起こします。
②間狂言「宗論」
狂言師の右近と左近が引っ込むと、清涼山を登るお坊さんたちによる間狂言「宗論」になります。(稀に別の曲の場合もあるそうです。)
浄土宗と日蓮宗のお坊さんが互いの信仰を自慢しあって言い争ううち、うっかり念仏とお題目を取り違えてしまったねアハハハというおおらかでユーモラスな場面です。
③後シテ 親子の獅子の精
にわかに激しい風が吹きつけ怯えたお坊さんたちが逃げていくと、厳かな音とともにいよいよ獅子の出現です。
赤と白の長い毛のかつらをかぶった親獅子と子獅子が勇壮な「毛振り」などを披露し、客席は湧きに湧いて拍手喝采、おおおおおと盛り上がりが最高潮になったところで幕となります!
やはり世界的にもおなじみの「毛振り」が注目ポイントではあるのですが、舞台の上手から花道まで空間を広く使って物語を描き出す前シテの部分も非常に感動的で、見事な演出であるなあとつくづく思います。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖