歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい連獅子 その五 前シテと詞章①

ただいま歌舞伎座で上演されている二月大歌舞伎

第三部「連獅子」は、十七世中村勘三郎三十三回忌追善として上演され、勘九郎さんとご子息の勘太郎さんが共演なさっている記念の一幕です。9歳での連獅子は史上最年少ということですが、体の大きさ以外でそれを感じさせないすばらしい舞であります。

今月に限らず連獅子は襲名披露や親子共演などの記念の一幕であることが多く、近年も非常に高頻度で上演されているにもかかわらず、しっかりとお話したものがほとんどないことが長らく気になっていましたので、これを機にお話を加えていきたいと思います。

初めてご覧になる方にとってなんらかのお役に立てれば幸いです。

前シテと詞章①

連獅子(れんじし)は、幕末から明治にかけて活躍した名作者の河竹黙阿弥が作詞を手掛け、1872年(明治5年)に東京の村山座で初演された演目であります。

そこからさらに30年近くの月日が流れた1901年(明治34年)に東京座で上演された際の演出において、能舞台を模した「松羽目」や間狂言の「宗論」といったものが採用され、現在見ることのできる連獅子の形式になりました。

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当盛見立三十六花撰 石橋の牡丹富貴三郎 豊国 

国立国会図書館デジタルコレクション

 

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前回、ごく簡単に3ブロックに分けて内容をご紹介しています。

 

獅子の毛振りはもちろん大きな見どころなのですが、前シテの部分もたいへん重要な見どころですので、詞章などとともにご紹介してまいります。

 

まず舞台の上ですけれども、具体的な風景を表現した大道具はなく、能舞台のように松がどんと描かれているばかりで、情景は音楽と舞踊、それを見る観客の想像の中にのみ生まれます。とはいえノーヒントというわけではなく、詞章やセリフなどでも言及されるのですが、いきなり聞き取るのは難儀ですので前提があると想像しやすくなります。

 

連獅子においては「唐の清涼山という場所」との前提で進みます。

清涼山というのは、智慧を司る仏さまである「文殊菩薩」が住むという霊地であり、その不思議な力によって、虹のごとく自然と石の橋ができている…という霊験あらたかな場所です。

さらにその周辺には、文殊菩薩の霊獣である「獅子」という伝説上の生き物が住んでいて、牡丹の花に戯れ遊ぶらしい…と伝えられています。

現代人にとっては馴染みの薄い情報かと思いますが、これらのことがお馴染みのこととしてスタートしています。

 

そこに右近・左近という2人の狂言師が登場して、獅子頭を手にして上記の前提を舞踊で描写していきます。狂言師というのは大名のおうちに出向いて歌舞伎舞踊を披露した人々のこと。

大人の方が右近で、若い方が左近です。右近が手にしている白い獅子頭は親獅子、左近が手にしている赤い獅子頭は子獅子であります。

 

このあたりの詞章は下記の通りで、「清涼山」「獅子」「牡丹」などにまつわる前提情報を描写していることがわかります。

それ牡丹は百花の王にして 獅子は百獣の長とかや

桃李にまさる牡丹花の 今を盛りに咲き満ちて 

虎豹に劣らぬ連獅子の 戯れ遊ぶ石の橋 

そもそもこれは尊くも 文殊菩薩のおはします その名も高き清涼山

峨々たる巌に渡せるは 人の工にあらずして 

おのれと此処に現はれし 神変不思議の石橋は 

雨後に映ずる虹に似て 虚空を渡るが如くなり 

長くなりましたので、次回に続きます。

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/正次郎連獅子

公演の詳細

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