今日は関東地方と東海地方で激しい雨との予報でしたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。万一災害等が起こるといけませんので、皆様どうぞお気を付けくださいませ。
先日まで歌舞伎座で上演されていた六月大歌舞伎の第二部「桜姫東文章」にちなみまして、演目にまつわる重要なお名前についてお話しておきたいと思います。何らかのお役に立つことができれば幸いです。
「眼千両」五代目岩井半四郎
「桜姫東文章」は、大南北と呼ばれた名作者・四世鶴屋南北の傑作の一つとして知られる演目。
深い仲となった稚児 白菊丸と心中をしようとするもひとり死にきれずに生き残ってしまった僧 清玄が、十七年後にその生まれ変わりと思しき吉田家の息女 桜姫と出会い、彼女のために堕落して怨霊と化してしまいます。一方、お家取りつぶしの憂き目を見た桜姫は、自分を犯した盗賊 権助に恋をして、女郎にまで身を落としてしまい…果たして二人の運命やいかにという奇天烈な物語であります。
初演の際、桜姫を勤めたのが美貌、愛嬌、色気、すべてを兼ね備えていたという文化文政期の名女形 五代目岩井半四郎(いわいはんしろう)です。
愛らしい大きな目が特徴的であったことから「眼千両」と呼ばれ、また女方としては異例の座頭格を勤めて「大太夫」とも称され、女形の中でもずば抜けた存在でありました。
東都高名会席尽 日本橋眺望 桜姫東文章 桜姫 五代目岩井半四郎
国立国会図書館デジタルコレクション
五代目半四郎の役者絵は本当に可愛らしいのでこのすえひろも大好きで、見るたびときめいてしまいます。私の推しです。部分的にですがいくつかご紹介いたします。いかがでしょうか、かわいいですよね…!
アムステルダム国立美術館 パブリックドメイン作品(部分)
ただ美しいだけでなくて仕草や表情からお転婆ぽさも感じられ、役者として素晴らしい方であったのだろうなと想像されます。江戸時代にタイムスリップしたら絶対に見たい方の一人です。
五代目半四郎は、安永5年(1776)に名女形 四代目半四郎の子として江戸に生まれました。粂三郎を名乗っていた子役時代から将来を期待され、四代目の死から4年後の文化1年(1804)に五代目半四郎を襲名しています。
四代目鶴屋南北の作品に数多く出演し、リアルなセリフ回しを得意としたそうです。もしかしたら玉三郎さんがインタビューなどでよくおっしゃる「南北調」のセリフ回しというものの中に、そのニュアンスが残っているのやもしれません。
五代目半四郎は、江戸っ子の女形であった父 四代目半四郎が、三日月おせんという役で創始した「悪婆」の役を完成させた功績でも知られます。悪婆は悪いおばあさんではなくて、根は純情ながら悪事をはたらく伝法肌の女性といった役どころです。
現代においては仁左衛門さんと玉三郎さんの共演で人気の「お染久松色読販 土手のお六」を五代目松本幸四郎とコンビで勤め、悪婆の傑作として伝わっています。五代目幸四郎いわく、五代目半四郎との共演は「桜の散る中を歩くやう」だったそうですから、やはり相当のかわいさであったのでしょうね…!
現代では想像しにくいのですが、江戸っ子ならではのリアリティのある生世話の女形芸というのは当時としてはとても鮮烈であったようです。恋するお姫様から蓮っ葉な市井の女性にまで、女形のイメージを大きく広げて江戸歌舞伎の世界を彩りました。
さらに文政5年(1822)11月には、江戸三座の立女形を五代目半四郎と息子2人とで独占するという大記録を打ち立てます。
五代目半四郎は市村座、長男二代目粂三郎(のちの六代目半四郎)は中村座、次男岩井紫若(のちの七代目半四郎)は森田座の舞台に立女形として立ち、岩井家の全盛を誇りました。
しかしながら、六代目を継いだ長男は38歳で夭逝、七代目を継いだ次男も42歳で命を落とし、二人の息子を見送るという悲劇に見舞われています。晩年は剃髪して隠居し、弘化4年(1847)72歳で没しました。
そんな岩井半四郎の名跡は、現在は日本舞踊の世界で女性に継承され守られています。いつの日か再び歌舞伎の舞台に戻ってくる日が来ると良いなあと願っています。
余談ですが五代目半四郎は荒事も勤めたらしく、こんな役者絵も残っています。
まさかの助六です…!かわいいですね…!
ミネアポリス美術館 パブリックドメイン作品
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎 家・人・芸/歌舞伎俳優名跡便覧