ただいま京都は祇園四条の南座で上演中の
京の年中行事 當る寅歳
吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎
第一部「曾根崎心中」は昨年2020年に亡くなられた坂田藤十郎さんの三回忌追善狂言としての上演で、御子息の鴈治郎さんと扇雀さんが徳兵衛とお初をお勤めになります。
数年に一度程の上演頻度ではありますが、名作ですのでこの機会に少しばかり演目についてお話したいと思います。芝居見物や配信の際など何らかのお役に立てればうれしく思います。
ざっくりとしたあらすじ⑦
曾根崎心中(そねざきしんじゅう)は、元禄16年(1703)5月に大坂の竹本座にて上演された人形浄瑠璃の演目です。16年後の享保4年(1719)4月に江戸の中村座で歌舞伎として上演されました。
霜釖曽根崎心中 天満屋おはつ・平野屋徳兵衛 国立国会図書館デジタルコレクション
日本のシェイクスピアと称されることもある浄瑠璃作者の近松門左衛門が、同年に実際に起こった心中事件を題材にして作った世話浄瑠璃です。
世話浄瑠璃というのは、市井の人々の暮らしのなかで起こる悲劇的ドラマのことで、曽根崎心中がその第一作であります。現代の我々が、武士の世界や政治・歴史などだけではなくて市井の人々の人生模様も味わえるのは、大変貴重で豊かなことだと思います。
そんな曽根崎心中のあらすじについてごく簡単にですがお話してまいります。上演のタイミングや形式によって内容が変わったり前後したりすることがありますので、その点は何卒ご容赦ください。
⑥では、九平次の店の事務処理で発生したトラブルにより九平次の悪事が明るみになり、怒り心頭の平野屋久右衛門がそれを天満屋亭主の惣兵衛と情報共有、徳兵衛の身の潔白が明らかになりました。そもそも久右衛門は、店を継がせるにあたり徳兵衛とお初を結婚させてあげたいと思って天満屋へやって来ていたのです。
これでお初と徳兵衛の将来にはなんの障害もなくなったはずでしたが、時すでに遅し。心中の覚悟を固め死に装束を身に着けたお初は、徳兵衛と手を取り合ってすでに天満屋を出て行ってしまった後だったのでした…
場面は大詰、曽根崎の森の場に移ります。この場は浄瑠璃の名文の宝庫ですので随時ご紹介していきます。
曽根崎の森というのは、お初天神という通称で知られている露天神社の境内にかつてあった森です。つゆのてんじんしゃで、ろてんじんじゃではありません。現在は都会のビル街ですが、かつては鬱蒼とした森であったそうです。
〽此の世の名残り世も名残り 死ににゆく身をたとふれば、
仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ
ここへお初と徳兵衛がしおしおとしてやってきます。これから死のうという二人なのに、指の傷が痛むお初を心配そうにいたわる徳兵衛。人間を感じさせるシーンです。
お初と徳兵衛が、追手によって引き離されることなく二人で一緒に死ぬことができることをよろこび合っていると、ゴーンと明け六ツの鐘の音が聞こえてきます。
「残る一つが今生の鐘の響きの聞き納め」と鐘の音に聞き入る二人です。
〽寂滅為楽と響くなり。鐘ばかりかは、草も木も空も名残りと見上ぐれば、
雲心なき水の音、北斗は冴えて、影うつる星の、妹背の天の河、
梅田の橋を鵲の橋と契りていつまでも われとそなたは女夫星(めおとぼし)
徳兵衛が育ての恩のある伯父の久右衛門への不義理を詫び、そしてすでに他界している父母を思っていると、お初もまた去年の秋に会ったきりの父母を思って涙を流します。
奇しくも徳兵衛は二十五、お初は十九の厄年でした。
〽思ひ合ふたる厄祟り、縁の深さのしるしかや、神や仏にかけおきし、
現世の願を今ここで、未来へ回向し、後の世も、猶しも一つ蓮ぞと
爪繰る数珠の百八に、涙の玉の数そひて、つきせぬ哀れ、つきる道
いつまでもこの世の名残りを惜しんでいても仕方がない、早く殺してと乞うお初。
徳兵衛は脇差を抜き、合掌するお初を手にかけ、自らの命も絶ち、二人は心中を果たすのでした。
〽誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え、とり伝へ貴賤群衆の回向の種、
未来成仏疑ひなき、恋の手本となりにけり
長くなってしまいましたが、これにて曽根崎心中は幕となります。
この悲劇を近松も「恋の手本」と書いてしまっていますので、影響を受けた恋人たちの間で心中が相次いだというのも必然なのかもしれません。悲しいことです。様々なタイミングもあり、心も移ろいますから、恋はぜひ生きて叶えてほしいと勝手ながら思います。
死ななくてよかったはずの恋人たちが、ちょっとしたタイミングのズレから二人で命を落とし、結果的に死をもって恋を成就させるという構造は、シェイクスピアのロミオとジュリエットに通ずるものがありますね。近松が日本のシェイクスピアと呼ばれるのもよくわかります。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/名作歌舞伎全集第一巻