こんばんは♪
ここまで、六月大歌舞伎「義経千本桜」の上演形式に則り
- 碇知盛
- いがみの権太
- 狐忠信
の3つの役を中心にお話して参りましたが、「義経は…?」という疑問が生まれませんでしょうか。第二部に至っては義経は全く出てきませんよねΣ('0'o)
そんな義経について今日は少しだけお話したいと思います。
あくまでも物語上の見方で、歴史的な事実に関しては割愛させていただきますのでご了承ください。
謎に包まれた悲劇の人
平家討伐の際に活躍した義経でしたがその生涯は謎に包まれており、たくさんの伝説を生み日本人に愛されてきました。義経のアイヌ説やジンギスカン説などの、仰天伝説もしばしば耳にしますよね(・.・;)
義経のように想像の余地が残されているキャラクターはとても魅力的で、物語を生み出しやすいと言われています。平家を滅ぼしたヒーローとしての側面よりもむしろ、美しき薄幸の人という側面を愛されてきたことが「判官贔屓」という言葉からもうかがえますね(n´v`n)
判官贔屓(ほうがんびいき)
判官=義経。義経のように、悲劇性をはらんだ人物に同情を寄せ、自然と惹かれてしまう感覚。
義経千本桜と義経
様々ある義経伝説と同じように「もしも平家の武将たちが生きていたら、どうなったかな?」という空想の中に生まれたのがこの義経千本桜です。
この物語の中で義経はずっと主役でありつづけるわけではなく、お話のところどころに静かに現れて物語を見届ける存在としても描かれています。
義経千本桜は碇知盛、いがみの権太、と胸の締め付けられるような悲劇が続きます。。
平家討伐をしながらも兄に疎まれて都を離れることを選んだ貴公子・義経の悲劇が背景にあるからこそ、これらの悲劇が美しく感じられるのかもしれません。
先の二つの悲劇のあとで狐忠信の物語へ移るわけですが、ここで義経は狐の親に対する情愛に深く心を動かされ、自分自身の家族との縁の薄さを嘆きます。
「我とても、生類の恩愛の節義、身にせまる」という義経の言葉が胸に沁み、人間というのは本当にとりとめのない悲しい生き物だなと改めて考えさせられるようです。
義経という役
義経の役は動きの少ない中で品格と愁いを表す非常に難しい役だと言われています。当代きっての義経役者といえばもう、中村梅玉さんで間違いないのではないでしょうか。
私も梅玉さんの品の良い静かな佇まいが大好きで、特に義経の役をなさっている時にはなんとなくほっといたします(n´v`n)
以前インタビューで梅玉さんご自身も「ライフワーク」とおっしゃっていた義経。今月は第一部・二幕目の「時鳥花有里」で梅玉さんの義経を見ることができますので、ぜひお出かけください♪
他にも義経が登場する演目はたくさんありますので、日本人が受け継いできた義経のイメージを感じてみてくださいね(人'v`*)