歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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歌舞伎座 四月大歌舞伎 昼の部「引窓」「七福神」「夏祭浪花鑑」を見てきました! 2024年4月

いよいよゴールデンウィークが始まりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

このすえひろはといえば、混雑する外にはなるべく出かけずに、とにかく家の中で映画やドラマを見まくるべく画策しております。昨年から小津安二郎監督作品の芝居見物シーン探しにハマっておりますが、他の監督の作品にもきっとちらほらと出てくるはずで、探してみたいのです。歌舞伎を見に行くという行為について、現代とは違う感覚が見いだせるのではないかと思います。楽しそうで興奮します。

さて、四月大歌舞伎はすでに千穐楽を迎えましたが、昼の部の感想をまだ残しておりませんでした。今後の備忘録として、昼の部の感想を少しばかりしたためておきたいと思います。

東蔵さんのお幸、愛之助さんの団七

昼の部は、「双蝶々曲輪日記 引窓」「七福神」「夏祭浪花鑑」という狂言立てでした。

引窓」は梅玉さんの南与兵衛、東蔵さんの母お幸、扇雀さんのお早、松緑さんの濡髪長五郎という配役でした。近年上演頻度の高い演目ですが、梅玉さんが南与兵衛をお勤めになるのは12年ぶりとのことで貴重な上演機会でした。

梅玉さんの南与兵衛と松緑さんの濡髪からただよう実直さからは、二人に直接の血のつながりはなくとも同じ母の息子なんだと、この二人ならばお互いがお互いに対してこの選択をするだろうとすんなりと思えます。

 

なんといっても東蔵さんのお幸が本当に本当に素晴らしいですね…。何度拝見しても泣いてしまいます。劇場なので涙をこぼす程度で堪えていましたが、家でしたら嗚咽の声も出ていたと思います。

長五郎に勝手にしをれと言い放つところと、「畜生の皮被り、猫が子をくわえ歩くように…」のくだりが特に胸に突きささりました。理性を超える母性とその自戒が、あまりにも悲しくて、切なくて。子を大切に思う気持ちに正しさという尺度は存在しないと教えられたようでした。

つくづく、引窓はいいですね…。見るたびごとになんて良い芝居なんだろうかとしみじみ思っています。登場人物が入れ替わらないワンシチュエーションのドラマでありながら、最後まで二転三転するおもしろみ。その中に人の心のあたたかさと愚かしさが柔らかいトーンで敷かれていて、心を動かされます。大好きな芝居です。

 

続く「七福神」は、若手花形のお顔触れが七福神に扮したおめでたい舞踊でした。それぞれ適材適所で、みなさま3Dプリンターで出力したいような可愛らしさがたまらなかったですね。フィギュアを発売したら売れると思います。私は鷹之資さんの布袋さまと萬太郎さんの寿老人を玄関にぜひ飾りたいです。

 

最後の「夏祭浪花鑑」は、愛之助さんの団七・お辰、菊之助さんの一寸徳兵衛、歌六さんの釣船三婦、橘三郎さんの義平次という配役でした。愛之助さんの団七を歌舞伎座の舞台で拝見できるというのは貴重な上演機会です。

愛之助さんの団七…素晴らしかったですね。本当に見応えある、義太夫節がそのまま目の前に具現化しているような芝居で終始興奮していました。浮世絵のような肉体美、声の良さ、音楽的楽しさ。すべてが揃っていて。ご年齢と役柄の頃合いもベストなタイミングだったのかもしれません。何度も何度も拝見している芝居なのに、没入感が圧倒的でした。VR浪速というような。

 

やはり愛之助さんが関西弁のネイティブでいらっしゃることが大きいのかもしれませんね。関西弁というのはつくづく奥深い言葉、選ばれし者だけが操れる音楽のような言葉だなと。歌六さんの釣船三婦もカッコよかったです…!老け役でありながら、ギラリとしたものが匂い立っているのがたまりませんでした。

現在の愛之助さんの芝居をもっともっと歌舞伎座で拝見できるよう、劇場アンケートなど積極的に書いていきたいと思います。

 

余談ですが、近ごろ朝の連続テレビ小説「虎に翼」を熱心に拝見しておりまして、性による区別と差別、役割とは何か、漢とは何か、日々考えています。そんな中で「夏祭浪花鑑」に触れ、この物語では江戸時代の時点ですでに女性の漢気の存在を表現していたのだなと気づかされました。

夫の恩ある人に義理立てを果たすために自ら顔を傷つける意気地を見せつけたうえ、「こちの人が好くのはここ(顔)じゃない、ここ(心)でござんす」と言って、颯爽と去っていくお辰です。釣船三婦も感心するほどにカッコいいんですよね。「お辰をカッコよく見せる」という意図が存在していたことが肝だと考えます。

 

もちろん、女性にとって容姿が一番大事との考えのもとそれを傷つけるという描写、男に生まれていればというニュアンスのセリフには感覚の違いを感じざるを得ませんが、当時かなり先進的な考えが存在していた可能性に改めて驚きました。

昔の倫理観には問題があったと一面的に捉えるのではなく、市井の人々の間に生きていた浄瑠璃の言葉から学べること、そこから広がる想像も大切に思考していきたいと改めて思った次第です。

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