こんばんは♪
今月の歌舞伎座興業にちなんだ歌舞伎のことばのお話をしております。
昨日は、「歌舞伎十八番」という言葉のあらましを本当に簡単にお話いたしました!
今日はその続きとして、江戸から現代へと急激にタイムスリップして近年のお話をいたしますね(人'v`*)
寿三升景清
今月のチラシや歌舞伎美人の公演情報をご覧いただくと「鎌髭」「景清」の題名の前に
「寿三升景清(ことほいでみますかげきよ)」と書かれていますよね。
これは2年前の平成26年1月に新橋演舞場で初めて上演された通し狂言で
歌舞伎十八番の「景清」「関羽」「解脱」「鎌髭」を新しい一つの通し狂言とすべく、新たな構想をもって作られた作品です!
そのうちの「鎌髭」と「景清」を今月上演しているというわけです(´▽`)
当時の筋書を見てみると、
「随分前から父團十郎と構想を重ねてきた作品です。
父の演出で、私が景清を演じたいとお願いをしたら、快く『ああ、そうですか』と了解を頂いていました。」
という海老蔵さんの言葉があります。
海老蔵さんと團十郎さん、お二人は市川宗家として歌舞伎十八番を守り、復活させるという情熱をもって歌舞伎に取り組まれてきました。
ブログやバラエティなどでは親しみを感じる海老蔵さんですが、こうした使命があればこその尋常ならざる輝きが私たち観客を魅了するのかもしれませんね(n´v`n)
十二代目の歌舞伎十八番
平成25年2月にこの世を去られた、海老蔵さんのお父様である十二代團十郎さん。光輝く太陽のような方で、このすえひろも本当に大好きでした。
好きな役者さんや上手だと思う役者さんは他にもたくさんおいでですが、
すえひろにとって「歌舞伎役者」という言葉のイメージでまず胸に浮かぶのはこの方で、
舞台の上にいらっしゃるだけでなんだか無性に嬉しくなったあの気持ちを今でも忘れることができずにおります。
團十郎さんは生前、当時の当代團十郎として歌舞伎十八番を語る貴重な書籍を作られました。その前書きの言葉をここに引用したいと思います。
市川家は衰退しかかると、必ず次に強力な人物が出て盛り返してきました。
〜中略〜
市川宗家が綿々と続いてきたのはなぜかを考えるとき、私は単なる運命ではなく、ほかならぬ「歌舞伎十八番」の存在に行き当たるのです。
そして、その源である初代、二代目の創った「荒事」が、市川宗家を支えてきたのだと思っております。
この本は私のたからものの一つです。今月の海老蔵さんのお姿に胸打たれた方は、ぜひこちらの書籍もお手にとってみてください。
江戸の華として輝く使命を代々受け継いだ一人一人の役者が、命を削り人生を費やして守られてきた成田屋の家の芸・歌舞伎十八番。
「神が荒ぶる」有様をお目にかかるのが荒事です。現在、私が荒事を演じるときも、荒ぶる心、英雄の豪快さ、勧善懲悪の正義、邪心のない心を大切に勤めています。舞台の上で人間を超えた存在になる、あるいはそういう演技をお見せしたいと念じております。
と團十郎さんもおっしゃるように
私たち見物人はあまり小難しく考えずおおらかな気持ちで、ただ目の前の役者の迫力に圧倒されることを喜ぶ荒事の楽しさを味わってみましょう(人'v`*)
※「團十郎家の芸」というのは、團十郎家の方しか演じてはならないものという意味ではございません。念のため補足いたしました。