先日、国立小劇場にて文楽の9月公演
「通し狂言 一谷嫩軍記」「寿式三番叟」を見てまいりました!
すえひろにとってはこれが3回目の文楽…!
今回は初めての昼夜通しとあって、前日から体調を整えかなりの緊張感をもって臨みました(・_・;)
文楽鑑賞は体力勝負
歌舞伎であればところどころぼんやりしていたり意識を失ってしまってもなんとなくの勘で
はっ!見どころだΣ('0'o)
と気づくことができたり、
今日は具合が悪いからあのセリフさえ聞くことができれば途中で力尽きても満足だな…
などと自分なりのペースで楽しめるのですが
文楽ではまだそのような自分の楽しみ方を見つけることができていません。。
丸一日かけて語りそのものをじっ…くりと聞きに行くわけですから、床本の一語一句逃すまいとして自ずと肩に力が入ってしまいます(((・_・;))))
文楽暦の長いすえひろの先輩方も皆さま「文楽は体力が必要」とおっしゃっていたので、なにか独特のものがあるのかもしれません。
来月は歌舞伎で
今回上演の文楽「一谷嫩軍記」といえば、
来月上演される歌舞伎の「熊谷陣屋」の元となっている演目ですから、10月を迎える前にオリジナルを目に焼き付けておきたいと思い一層力がこもりました。
歌舞伎では上演されない部分の段も聞くことができたので、
歌舞伎の「熊谷陣屋」ではいきなり登場したように見えた人物たちのバックグラウンドがわかります。
なるほどこういったお話だったのか、と歌舞伎版の答え合わせのような面白さに、どんどんと引き込まれました。
歌舞伎と文楽のちがい
今回文楽の「一谷嫩軍記」を見て、歌舞伎のショー性を改めて実感したように思います…(n´v`n)
たとえば文楽「熊谷陣屋の段」は、
歌舞伎「熊谷陣屋」が熊谷次郎直実がひとり花道で泣き崩れて幕切れとなるのに対して
登場人物のいろいろな伏線を回収して物語の筋をきっちりと通した上で幕切れとなっていました。
歌舞伎は物語の整合性よりも役者を輝かせることを第一として発展してきたからこそ、
熊谷次郎直実を演じる主役の役者の芝居が最も映え、観客の涙を絞るような演出がなされているのだなぁと納得し、感動を覚えました…
現代においても同じようなことがありますよね(人'v`*)
若者のアイドル的存在の方がドラマや映画に出演なさる時には、
ストーリーの面白さ云々よりもその方が輝く役をつけ、なおかつアップのシーンを増やしたり、かっこいい衣装を着させたりして、
津々浦々のファンの方々をキュンキュンとときめかせるような方法が取られているように思います。
歌舞伎役者はかつてエンターテイメントの中心、まさにスターだったんですね…江戸時代の人々の熱気を間接的に感じられたようで非常に感慨深いものがあります(n´v`n)
文楽ではそのような華々しさを取り去った物語そのものの深みと面白みを感じられるので、
文楽と歌舞伎どちらも見ておくことはとても大事なことなんだなと、またひとつ学びました。
バックステージへ…
実は今回、本当にありがたいことに舞台裏に入れていただくことができました!
その時に取らせていただいた写真などは明日のお話の際にお見せしたいと思いますので楽しみになさっていてくださいね(人'v`*)