ただいま歌舞伎座にて上演中の七月大歌舞伎!
夜の部「駄右衛門花御所異聞」は海老蔵さんとご子息のカンカンこと勸玄君の宙乗りで大きな話題となっていますね。
このお話のキーパーソンであります日本駄右衛門について少しばかりお話しております(´▽`)
そもそもなんで日本左衛門?
延享年間、日本左衛門の異名をとって大暴れした
実在の大泥棒・浜島庄兵衛が日本駄右衛門のモデルであるということは
1・2でお話してきたとおりでした(人'v`*)
立派なおさむらいの親を持ち浪人あがりだったという浜島庄兵衛ですが
なぜグレた結果「日本左衛門」などという
いかにもカッコいい名前を思いついて名乗ったのか?
というのが気になってくるところです。
この疑問を朝日日本歴史人物事典などで辿ってみると
大坂の豊竹座で上演された人形浄瑠璃「風俗太平記」に登場する
賊徒・日本左衛門の名前を取り、自ら名乗った
とされています。
この「風俗太平記」の確かな内容や上演時期まで辿ることはできませんでしたが、
浜島庄兵衛はかつてこの人形浄瑠璃を見たり聞いたりして
日本左衛門の賊徒ぶりに憧れを抱いたりしたのかもしれませんね。
実際の人物が自らをフィクションで色付けし、
その事実が再びフィクションを彩り豊かにした、
というおもしろい行き来があったようでとても興味深いですね(´▽`)
黙阿弥の台詞づくり
そんな浜島庄兵衛の人生をふりかえりつつ
白浪五人男「稲瀬川勢揃いの場」での
日本駄右衛門の台詞を読んでみるとなんだか胸に沁みるものがあります…!
問われて名乗るもおこがましいが
生まれは遠州浜松在
十四の頃から親に放れ
身の生業も白浪の
沖を越えたる夜稼ぎの
盗みはすれど非道はせず
人に情けを掛川の
金谷を掛けて宿々で
義賊と噂高札に
廻る配符のたらい越し
危ねえその身の境界も
最早四十に人間の
定めは僅か五十年
六十余州に隠れのねえ
賊徒の張本日本駄右衛門
実際の浜島庄兵衛が、
盗みはすれど非道はしなかったのかなどは全く分かりませんが、
言葉をひとつひとつ噛みしめてゆくと
おおおお。゚゚(´□`。)°゚。浜島庄兵衛!
と熱くなってしまうほどのストーリーが盛り込まれています。
最早四十に人間の定めは僅か五十年
この部分の無常観も、より一層深く感じられるようです。
河竹黙阿弥のものすごさを改めて実感できました(n´v`n)