ただいま歌舞伎座で上演中の七月大歌舞伎!
昼の部「矢の根」について、少しばかりお話しております。
初めてご覧になった方の何らかのお役に立てればうれしいです。
「矢の根」の成り立ち
「矢の根」の原型は享保5年(1720)のお正月
江戸は森田座で上演された「楪根元曽我(ゆずりはこんげんそが)」という演目にあると言われています。
二代目團十郎が扮した曽我五郎が、矢の根を研ぐ
という趣向が初めて取り入れられたのがこの時です。
その後、享保14年(1929)のお正月、
江戸は中村座で「扇恵方曽我(すえひろえほうそが)」が上演されたとき
今の台本や演出の基礎となるものがほぼ出来上がっていたそうです。
いまも上演されている「矢の根」の魅力は
平和でのどかなお正月芝居の雰囲気を残す、古風な演出方法にあります。
またもや出ました「曽我五郎」
歌舞伎の演目にはやたらと曽我兄弟が登場しますが
この「矢の根」も主人公は曽我兄弟の弟・曽我五郎です。
物静かなお兄さん・曽我十郎(そがのじゅうろう)
血気盛んな弟・曽我五郎(そがのごろう)
という曽我兄弟のキャラクターは江戸時代の人々の共通認識であったそうです。
この二人が有名なのは「曽我物語」というヒット作によるもので、
二人の物語は歌になったり本になったり芝居になったり、とにかく人々に愛されていたそうなのです。
「曽我物語」のお話をざっくりとご説明しますと、このようなものです。
がんばれ曽我兄弟
むかしむかし…
工藤祐経という源頼朝の重臣に、大切なお父さんを討たれてしまった兄弟がいたそうな。
二人の名前は曽我十郎祐成(そがのじゅうろうすけなり)と曽我五郎時致(そがのごろうときむね)
兄弟は父親の敵を討ちたい一心で手に手を取り合い様々な苦難を乗り越え、
そして長い長い時を経てようやっと工藤祐経を討つことができたとさ…
めでたしめでたし。
と、
とても単純明快な敵討ち奮闘記でありました。
国立国会図書館デジタルコレクション - 踊形容外題尽 鏡池俤曽我対面の場
江戸時代の人々はこの筋をよく知っていたのでいきなり「矢の根」を見ても
「あれは弟だ、お兄さんはどうしたのかな」
「工藤祐経のところへ敵討ちにいくんだな」
などとすんなり理解できたのだと思いますが、
現代を生きる私たちにあの演目を
前知識なしで理解しろと言われても難しいものがあるかと思います。
詳しい内容については、次回お話したいと思います!