ただいま歌舞伎座で上演されている吉例顔見世大歌舞伎!
夜の部「大石最後の一日」について少しばかりお話いたします。
初めてご覧になった方にとって、何らかのお役に立てればうれしく思います(人'v`*)
ついに「大石内蔵助」の名が登場!
①では、江戸時代から明治時代にかけて時代が大きく変わり
赤穂浪士討ち入りを事実に基づいて描いてよい
と許されたところまでをお話いたしました。
討入の中心人物である大石内蔵助。
その実名が芝居に初めて登場したのは明治6年(1873)の『忠臣いろは実記』からだそうです。
「実記」とは題されているものの「いろは」に「仮名手本」の雰囲気が
うすぼんやりと感じられるのがおもしろいなぁと思います(´▽`)
そののち歌舞伎座開場に関わった福知桜痴や
岡本綺堂などなど、名だたる人々が忠臣蔵の実録をもとにしてお芝居を書きましたが、
その中でも近代の忠臣蔵物の傑作として今に伝わっているのが
真山青果の「元禄忠臣蔵」であります(人'v`*)
真山青果は7年間もの歳月を費やし詳細に史実を調査、独自の視点を盛り込み、
”忠臣蔵”という物語を骨格ごと組み立てるような創作活動を行って
全十編にわたる超大作を作り上げたのです。
「元禄忠臣蔵」が最初に上演されたのは昭和9年(1934)
なんとこのとき上演されたのは、お芝居の最後の場面である「大石最後の一日」だったのだそうです。
この好評を受けて翌年、発端の場面である「江戸城の刃傷」から上演されました。
全てを上演し終わるまでにも7年の歳月がかかったようですから
真山青果にとっては実に15年近くにわたる大プロジェクトであったのですね!
激動の明治時代を生きた歌舞伎役者たち、芝居関係者たちのことを思うと
一世紀以上の時を経た今もこうして歌舞伎を楽しく見られることに
なんともいえず感動してしまいます。゚゚(´□`。)°゚。
参考