今月歌舞伎座で上演されていた六月大歌舞伎。
昼の部「野晒悟助」と夜の部「夏祭浪花鑑」を見て、
大坂の下町を闊歩していた侠客たちの姿に思いを馳せておりました…
侠客の役の拵えといえば腰に尺八を差していることが多いですよね。
あれは芝居の世界のウソなのか、
それとも実際の侠客を模しているのかが気になったため少し調べてみました。
歌舞伎をお好きな方や歌舞伎を見始めた方のお役に立つ情報ではないと思いますが、
ご興味をお持ちの方はお読みいただければと思います!
尺八の穏やかでないお話
そもそも現代に伝わる尺八という楽器は、
普化宗という宗派で虚無僧の修行のために用いられていたもので
「普化尺八」とも呼ばれています。
江戸時代の虚無僧というのは修行僧とは意味合いが異なり
浪人や密偵などが世を忍んで一時的にその姿をしていることが多かったようです。
なるほど、お顔を隠しているのはそのためなのですね。
次第に仇討ちを企む血の気の多い者やならずものが増えてきたために
虚無僧は厳しく取り締まられるようになっていきました。
しかし彼らは徒党を組んで江戸や上方の都市部で暴れはじめます。
虚無僧たちが常に身につけていた尺八を、
やがて浪人、町人のかぶき者、丹前と呼ばれる血気盛んな方たちも
ケンカのための武器として携えはじめました。
なぜなら太い竹でできた尺八は、
ボォーといい音を出すだけでなく様々な用途で使うことができたからです。
「摂津名所図会」や「武道張合大鑑」などの文献によれば
尺八の硬さにまかせて殴り殺したり、尺八の中に懐剣を仕込んだりしていたようです。
おそろしいですね…つるかめつるかめ…
現代人は凶悪であり、昔の日本人は清く正しくのどかに暮らしていた…
というような固定観念がありますけれども、
実際の江戸時代の都市部はかなり物騒で犯罪が横行していて、
うかうか歩いていれば殺されかねない危険な世の中でもあったようです。
ご先祖様方がそんなデンジャラスな世の中を運よく生き抜いてきてくれたからこそ、
いま安全に楽しく歌舞伎が見られるのだと感謝の念がふつふつと湧いてきます!
参考文献:日本大百科全書(ニッポニカ)
浪花男の男伊達 野高 宏之
地域創造学研究 = Journal of regional promotion : 奈良県立大学研究季報
27(2), 23-41, 2016-11 奈良県立大学研究会
明治日本の宗教者とエートスとしての〈侠〉熊田 一雄
愛知学院大学文学部紀要 : 愛知学院大学論叢 文学部紀要 (38) 2008 p.37~42