ただいま歌舞伎座にて上演中の
團菊祭五月大歌舞伎
新元号令和最初の記念すべき歌舞伎公演です!
夜の部「京鹿子娘道成寺」は数ある歌舞伎舞踊の中でも
屈指の名作として知られています。
この演目については過去にもお話いたしましたが、
お話し足りない部分が多いのでいろいろと加えてまいります。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います!
伝説の天才女形・初代富十郎
京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)は、
1753年(宝暦3)年3月に江戸は中村座にて初演された舞踊演目。
江戸時代中期に活躍した元役者の歌舞伎作者・藤本斗文(とぶん)の作で、
初代杵屋弥三郎が作曲を担当したと伝えられています。
内容は紀州の道成寺に伝わる「安珍清姫伝説」をもとにしたもの
というのは以前もお話いたしました。
実はこうした道成寺物の作品は元禄時代から数多く作られていたそうですが、
様々な役者たちが踊っては演出をブラッシュアップしていき、
安永~天明期に活躍した大坂生まれの名女形・初代中村富十郎が
それらの集大成として初演したのがこの「京鹿子娘道成寺」であります。
初代富十郎は暑い夏にも汗ひとつかかないと伝わる美貌の女形であり、
若くして天才として評判をよび、大坂・京・江戸の三都で大活躍しました。
時代物も世話物も得意、さらには踊りの名手でもあったそうです。
晩年には別格の位付け「三ケ津巻首総芸頭」という扱いを受け、
「古今天下無双の女方」と評されたまさしく伝説の名女形であります。
おまけに穏やかで心優しい、それはそれは素敵な方だったようです。
そんな富十郎が美しい振り袖姿で舞い、
扇や笠などの様々な小道具をかわるがわる使って踊り、
その華やかさおもしろさ美しさが大評判となって、
初演時はなんと6月中旬まで大入りロングランとなったと評判記に記されていますよ。
初代中村富十郎(THE MET・パブリックドメイン)
現代においても「京鹿子娘道成寺」は大人気の演目。
歌舞伎女形最高峰の舞台としてドーンと華々しく上演されるだけでなくて、
日本舞踊を楽しむ老若男女がいつかチャレンジしたいと願う出し物としても人気です。
プロフェッショナルにとっても難しい大曲でありながら、
趣味でたしなむ方にとっても挑戦を夢見ることができるという、
非常に幅広い方が楽しく取り組める舞踊を練り上げたとなると、
初代富十郎がいかに踊り手として優れていたかがわかるように思います。
このすえひろも今月の舞台を拝見しつつ、
どんな方だったのかな~と少し思いを馳せてみたいと思います。
参考文献:新版歌舞伎辞典/松竹歌舞伎検定公式テキスト/朝日日本歴史人物事典