歌舞伎の舞台の上にはたくさんの記号=お約束があり、
初めて見る演目や内容が聞き取りにくい演目にもたくさんのヒントが隠れています。
今月上演された「寺子屋」より、衣裳デザインのお約束を一つご紹介いたします。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います。
重圧に耐える心を表すデザインとは?
「寺子屋」は、菅丞相(菅原道真)から大恩を受けた三つ子の一人でありながら、
菅丞相の敵方・藤原時平に仕えている薄情な男だと思われていた松王丸が主人公。
菅丞相の一子・菅秀才の命に危険があると知り、
菅丞相の恩に報いるため大切な我が子を身代わりにする…という
松王丸の複雑な心理が描かれた悲劇であります。
国会図書館デジタルコレクション 松王丸・源蔵女房戸なみ・松王女房千代・武部源蔵 香蝶楼豊国
そんな松王丸が身につけているのは、
黒綸子に美しい刺繍でどっしりと立派な松の枝が描かれている衣裳。
松の枝には重そうな雪がずっしりと降り積もっています。
しんしんと降る雪をじっと受け止め、その重みにひとり耐えている松の木…という
映像が浮かぶような衣裳ですけれども、舞台の季節設定は真冬ではありません。
この衣裳は季節感を表しているのではなく、
本心を隠して時平に仕え、菅丞相のため我が子の首実検を行う…という状況に
じっと耐え抜く松王丸(松)の心情を表しているデザインなのであります。
この衣裳を身につけていることで、松王丸の悲壮は一層際立つように思われます。
このデザインは「雪持(ゆきもち)」と呼ばれております。
松王丸の場合、地の色は銀鼠(比較的淡いグレー)の場合もありますので、
どのような時に銀鼠の衣裳が登場するのか…などぜひチェックしてみてください。
同じく「雪持」の衣裳を身につける役柄があります。
それは「伽羅先代萩」の政岡。
政岡もまた我が子を犠牲にして主君を守ろうとする、耐える女性でありました。
政岡の衣裳で重い雪を支えているのは、松ではなく竹です。
これは芝居の元ネタである、仙台藩の伊達騒動を象徴する「竹に雀」の紋からとられています。
竹のたたずまいからは、雪をも跳ね返すような凛とした強い心や、
政岡の女性としてのしなやかさまで感じられるようです。
ただ華やかなだけではなくモチーフの一つ一つまで練り上げられた歌舞伎の衣裳。
役柄の心情をも感じ取ることができるとは、洗練の極みに圧倒されますね。
参考文献:歌舞伎の衣裳/歌舞伎登場人物事典/大辞林