歌舞伎公演の中止に伴って空いた時間で、楽しみにして買ったまま手つかずの本や、読んだものの内容をすっかり忘れている本などをもりもりと読みまくり、気力を奮い立たせている昨今です。
備忘録を兼ねてそのなかから何冊かご紹介いたしますので、何らかのお役に立てればうれしく思います。
「非道、行ずべからず」松井今朝子著
今回は、大好きな松井今朝子さんの小説を。
芸の道に生きる者たちの魂の修羅を描く「風姿花伝」三部作
ー松井今朝子ホームページより
の、第一作目にあたる作品「非道、行ずべからず」です。
この題名がなんともかっこよくってたまりません。三部作すべてに世阿弥の「風姿花伝」から引用された題名が付けられていて、それぞれの物語を象徴する軸となっています。
背表紙の紹介文はこうです。
文化六年元旦、江戸最大の劇場、中村座が炎上し、焼け跡から、男の死体が見つかる。正月興行に水をさされ、下手人が身内でないことを祈る劇場主十一代目中村勘三郎。だが折しも、三代目荻野沢之丞が、誰に名跡を継がせるか、話題となっていた。反目しあう兄弟、戯作者、帳元、金主等、怪しいヤツばかり。北町同心達が謎を追ううち、次なる殺人が…。芸に生きる男達の修羅地獄を描く長編時代ミステリー。
もう、これを読んだ時点で既にワクワクが止まらず……!!
500ページ以上というボリュームもなんのその、脳内で登場人物たちをキャスティングしてするなどして一気に読み切ってしまいました。
特に「荻野沢蔵」という登場人物が好きでしたが彼のキャスティングはなかなか難儀で、それもまた楽しみの一つでありました。
松井今朝子さんは松竹株式会社にて歌舞伎の企画・制作に携わられ、独立後も歌舞伎の脚色や演出などを手掛けられた経歴をお持ちであり、歌舞伎の世界を舞台としたフィクションは数あれど、造詣の深さと確かさにおいて右に出る者のいない方であります。
圧倒的精度の情報によってフィクションの世界がぐぐっと鮮明になることで、まるで自分自身が混沌の中村座に潜んでいるような、たまらない没入感を味わうことができるのですね…
題名に使われている、世阿弥が残した「風姿花伝」の言葉は、
「この道に至らんと思はん者は、非道を行ずべからず」。
何かの道(ここでは能の道でしょうか)を極めようと思う者は、決して外の道を行こうとしてはならないという意味だそうです。
この「外の道を行く…非道」というのがキーポイントです。
ひとつと決めた芸の道からは決して外れてはならない、では果たして、道理からの逸脱はどうか…
たとえば芸の道を極めた超一流の役者さんが、品行方正で人道的な大人物かというとそれはわかりませんし、そうであるべきとは思いません。逆もまたしかりです。
であるからこそ、芝居小屋というカオスの世界で我が道を貫こうと生きる人々が道理から外れていくさまに、心を動かさずにはいられません。ミステリーとしておもしろいのはもちろんのこと、芸道とはなんぞや芝居とはなんぞやという大きなテーマについても、考察の深まる作品です。
先日の読書録でご紹介した「江戸時代の歌舞伎役者」田口章子著には、成り上がり金主・大久保今助をはじめ本作に登場する人物や事柄が多数登場します。役者たちの生活や芝居小屋のシステムなどについて理解が深まりますので、2冊の平行読みもおすすめです!
松井今朝子さんの「風姿花伝三部作」は
第二作「家、家にあらず」
第三作「道絶えずば、また」
と続きます。
実は「非道、行ずべからず」を読み始めてようやく気付いたのですが、私は第二作の「家、家にあらず」から読み始めてしまっていました。なんたる粗忽者でしょうか。
しかしそれでも内容がちんぷんかんぷんだったということは一切なく、こちらもまたおもしろくてたまらず無我夢中で読み切った作品でした。
ここまで来たら第三作「道絶えずば、また」も今すぐに読みたいところですが、なんだかこの物語の世界を完結させてしまうのが寂しいような思いが湧いてきて、先に直木賞受賞作「吉原手引草」の方に手を付けてしまいました。
松井今朝子さんの小説全読破は今年の目標のひとつであります。果たして達成できるでしょうか…
思いがけず生まれた時間を有効活用して読書に励みたいと思います!