東京では夏日が続いていますが皆様いかがお過ごしでしょうか。まだ本格的な暑さに慣れていない体ですから、熱中症には何卒お気をつけください。
このすえひろはといえば、昨日家族の2度目のワクチン接種に付き添ってまいりました。接種直後は元気にしていましたが、今日になって徐々に熱が出てきたようです。私のもとにも既に接種券が届いているものの、家族のようすを見ていますと、何曜日に打てば仕事への影響が小さいのか悩みどころです。
さて、先日のお話ですが歌舞伎座へ出かけまして六月大歌舞伎の第一部を拝見してまいりました!備忘録として少しばかり感想をしたためておきたいと思います。
菊五郎さん左團次さんの老夫婦に涙
第一部は「御摂勧進帳」「夕顔棚」という狂言立てでした。
まず「御摂勧進帳」は、弁慶に芝翫さん、義経に雀右衛門さん、富樫に鴈治郎さんという配役です。お馴染みの歌舞伎十八番 勧進帳と状況は同じでありますが、より古い成立で、江戸の荒事らしい底抜けな演目であります。
全体的にコメディタッチな演目ですが、雀右衛門さんの義経にはシリアスムードが漂っていて、舞台が引き締まって見えました。芝翫さんは国周の描く四代目芝翫さながらの浮世絵感で興奮いたしました。
この演目の通称「芋洗い勧進帳」は、弁慶が番卒の首を引っこ抜いて桶に投げ込み、ゴロンゴロンと引っ掻き回すという、現代的な感覚で見ればとんだブラックユーモアによるものです。弁慶の胸には「弁」水の桶には「水」とでかでかと書いてあるというわかりやすさで、理屈はさておき役者のおもしろくてカッコいいところが見たいという江戸の人々の欲求が見て取れます。
同時に上方で生まれていた義太夫狂言の複雑さと比べますと、江戸の荒事は本当に単純と申しますか、大胆のひとことに尽きますよね。江戸の人たちは上方と比べ深く考えることが好きでなかったのだろうかと邪推もしてしまうのですが、おそらくそうではなくて、芝居はとにかく明快であることを良しとしていたのではないかと思われます。
そのようなことを考えながら芝居を拝見していて、近ごろ話題になっていた記事のことを思い出しました。現在倍速や10秒飛ばしで映画・ドラマを視聴する習慣が広がりつつあり、その影響かセリフですべてを説明する作品が増えたというものです。
そのあとに発表された続編の記事では、SNSの普及によって「わからなかった(だからつまらない)」という感想が可視化されやすくなり、わかりやすい映画・ドラマが作られやすい環境になっているらしいという考察が展開されていました。
乱暴ですが現代の映画・ドラマを、江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃に置き換えてみるとすると、似たような構図が江戸時代の上方→江戸のエンタメ界でも起こっていたのではないか、さらに江戸時代→明治時代のエンタメ界では真逆の構図になっていたのではないかと思われました。
歌舞伎だけでは考察しきれないことですが、視聴環境の変化やSNSの普及等とは別の国民性、あるいはエンタメに対する人の性が関係している可能性もあり、気になるところです。
すみません、思いのままにしたためていたらつい脱線してしまいました…
続く「夕顔棚」は、菊五郎さんが婆、左團次さんが爺、里の男女に巳之助さんと米吉さんという配役です。この一幕が本当に素晴らしかったです…!
菊五郎さんと左團次さんの老夫婦の姿、特に菊五郎さんを見つめる左團次さんの表情とたたずまいから、若いころの二人の恋を感じさせるような色気がほんのり感じられ、人生の奥深さに深く感じ入って涙し、突如として結婚願望が高まりました…。前回の平成27年の上演も拝見したのですが、自分自身が6年分年齢を重ねたこともあるのでしょうか、夕顔棚でこんなに感動したのは初めてのことでした。