歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい堀川波の鼓 その九 ざっくりとしたあらすじ⑦

大阪松竹座で先日まで上演されていた関西・歌舞伎を愛する会 第三十回 七月大歌舞伎

「関西歌舞伎を愛する会」とは、歌舞伎発祥の地・関西での歌舞伎興行が厳しい状況にあった時代、歌舞伎の関心を深め、関西文化の復興を目指して結成されたボランティア団体であります。

今回は第三十回の記念すべき公演です。東京では歌舞伎座公演が新型コロナウイルス感染によって中止となってしまったなか、無事に千穐楽まで上演された貴重な公演でした。

夜の部で上演されていた「堀川波の鼓」は比較的上演頻度の低い演目ですが、近松門左衛門の名作のひとつです。公演は終わってしまいましたけれども、この貴重な上演機会にぜひお話しておきたいと思います。

ざっくりとしたあらすじ⑦

堀川波の鼓(ほりかわなみのつづみ・「堀川波鼓」)は、宝永4年(1707)に大坂の竹本座で初演された世話物の浄瑠璃。江戸時代の偉大な劇作家のひとり近松門左衛門の作品で、大正3年4月中座で初演されるまで歌舞伎化されなかったレアケースです。そのため現在見ることができる舞台は新歌舞伎的な演出がなされています。それでも違和感のない、近代的なリアリティを持ったお話です。

 

「姦通」つまり不倫を題材とした近松門左衛門の「三大姦通物」のひとつで、実際の事件を題材としています。江戸時代の姦通は単に道ならぬ色恋ではなく、死罪になることと畜生道に堕ちることを覚悟しなければならない大きな罪でした。ひょんなことから人間関係にほころびが生まれ、大罪に至るプロセスが味わい深く描かれています。

 

「堀川波の鼓」は人形浄瑠璃を歌舞伎化した演目ですが、いわゆる義太夫狂言ではなくセリフもわかりやすいため、見ているだけで内容がつかめます。しかしせっかくの近松門左衛門作品ですので、床本集から元の浄瑠璃を少しずつご紹介しながら内容をお話してみます。現行の上演とは少し違う部分も出てくるかとは思いますが、その点はご容赦いただければ幸いです。またの上演や放送・配信などの際にはぜひ思い出しながらご覧になってみてください。

 

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⑥では、第二幕 第一場 小倉彦九郎宅の場面の前半をお話いたしました。

あれから数か月がたち、何も知らない彦九郎がお江戸から帰ってきたところです。お種宮地源右衛門の関係は家中の噂になっていて、彦九郎が気づくのも時間の問題という状況です。

家の恥となるのはもはや免れそうもないけれども、どうか姉の命だけは助けたいと願うお種の妹・お藤は、江戸の彦九郎へ「お種と別れて私と再婚してほしい」と手紙を書きました。しかし、これは叶いません。そのうえ、嫉妬にかられたお種から散々に暴力を振るわれてしまいます。お藤の真意と自らの過ちを悟ったお種は、激しくむせび泣くのでした。

 

そこへ、外からなにやら騒がしい声が聞こえてきます。

襖をパーンと開けて現れたのは、彦九郎の妹のおゆら。なぎなたを手に「慮外なれどそのお命貰いに来た!」と勇ましく屋敷の中に乗り込んできました。

これは一体どういうつもりだと叱る彦九郎ですが、おゆらは少しもひるまずにいきり立っています。実は彼女はさきほどお種に「真苧(=間男)」を届けた政山三五平というさむらいの妻で、お種宮地源右衛門の密通を理由に離婚を迫られているのです。

 

なぜお種宮地源右衛門の関係がおゆら夫婦にまで影響するのかと申しますと、こんなにも家中に知れ渡っている事件であり、真苧まで送り付けて匂わせているのに、彦九郎がいまだ「女敵討ち(めがたきうち)」をしていないからです。

女敵討ちとは、夫が妻の不倫相手を探し出して殺すということ。これをせず、のうのうと知らん顔をしている彦九郎は、腰抜けのさむらいだと思われています。

 

ヤアしほらしい腰抜け殿、様子を言ふて聞かせ申さん。

こなたの内儀は鼓の師匠京の宮地源右衛門と密通して、御家中この沙汰真最中。それ故土産に真苧を遣はし気を付けても、妻敵をも得討たず、聞かぬ顔する腰抜けの彦九郎、その妹とは添ひ難しと夫(つま)の政山三五平、我に暇をくれられて、『兄が腰が立つたらばその時は立ち帰れ、元の如く夫婦にならん』と離別して来たつたり

これ腰抜けの兄御、わが夫に添はせうか添はせぬか、そなたの一心ひとつぞ

この場面のおゆらのせりふには三度も「腰抜け」とあり、激しい怒りが見て取れます。しかしそもそも彦九郎ははお種に対して一片の疑いも抱いていないのですから、仕方のないことです。

 

彦九郎が証拠はあるのかと尋ねると、おゆらは二つの袖を突きつけます。

「男の袖は知らねども女の衣裳に覚えあり」

あの夜、磯部床右衛門が入手していたお種源右衛門の袖を見て、彦九郎は初めて、お種を疑いました。

 

そして、静かにお種お藤文六を呼び寄せます。

家内の上下これを聞き、鳴りをひつそと静めし時、主少しも騒がず、「女房共来たれ。倅文六来たれ」と、詞少なに呼びければ

彦九郎が愛する妻の裏切りを確信した時の描写が非常に静かである点にリアリティがあり、現代的な演出のように感じられますね。呼びよせられた人々も

身も冷へ渡り魂消へ、息を閉じたるその中に

と、静寂に包まれています。

 

彦九郎は袖をお種の前に放り、

女、言ひ訳ないかいやい

とだけ尋ねます。もはや妻ではない「女」という呼び方がつらく響きます。

そして、お藤には中立を知っているのかどうか、文六には源右衛門をすぐに討たなかった理由を尋ねます。お藤のような貞淑な女性が中立を知っていて止めないはずがありません。また文六は、不倫の事実を今朝知ったばかり。討手を遣わせましたが、源右衛門はつい2、3日前に京都へ帰ってしまっていたのでした。

 

彦九郎は羽織を着ると、

是非に及ばず。それ持仏堂に火を灯せ。女立て。持仏へ来たれ

とだけ言って、静かに持仏堂へ向かっていきました。

 

場面は第二幕 同家仏間の場面に移ります。

彦九郎は持仏堂の前に座り、お種に「先祖への詫びの一言」を許します。

不義を犯した自分を斬り捨てることもできるのに、持仏堂へ連れてきて、先祖への詫びまでさせてくれたことは、彦九郎からの最大の愛情であるとお種は受け取りました。

そして、

その御心をこの年月、知つていとしき我が夫(つま)を、袖にしての不義ではなし

と、決して愛するあなたをそでにしたのではないのだと言い訳をして、すでに陰腹を切っている胸を開きます。彦九郎お種に刀を突き立て、とどめを刺すのでした。

 

これから番頭へ訴え出て、源右衛門を討つという語る彦九郎に、文六お藤おゆらが縋り付き、それぞれに「私も連れて行ってください」と願い出ます。

町人一人を討つのに何人も連れていくのは、それこそ彦九郎の恥になります。それはならぬと断る彦九郎に、みなは尚も食い下がります。女敵討ちへの同道が、お種の供養にもなると思えばこそです。

 

しかしこの気持ちが彦九郎をさらにつらくさせます。

「さほど母姉兄嫁を大切に思ふ程ならば、など最前に衣を着せ尼にせんとて命をば、なぜに貰ふてはくれざりし」

それほど大切に思うのなら、なぜお種を尼にして、命を助けてくれなかったのか…と、彦九郎はお種の亡骸に羽織を駆け、忍び泣くのでした。

 

ものの哀れや武士(もののふ)の身こそ、あだなる習ひなれ

ここまでで「堀川波の鼓」の現行上演の部分は幕となります。

尼にしてでもお種の命を助けて欲しかった彦九郎の愛はよくわかります。しかし尼になれば二度と彦九郎と夫婦になることはできず、それならば罪を背負って死んでしまいたいお種の愛もよくわかります。

実の弟の文六を養子に取っていたことから想像するに、二人の間に実の子はできなかったのではないかと思います。それが一夜の過ちで懐妊したというのは、夫婦にとってどんなにつらいことだったでしょうか。あらゆる方法で観客の心をしめつけてくる近松の人物描写力には圧倒されるばかりです。

 

参考文献:名作歌舞伎全集 第一巻/日本大百科事典/床本集

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