ただいま歌舞伎座で上演中の八月納涼歌舞伎!
夏の人気花形公演「納涼歌舞伎」が、新型コロナウイルスの感染拡大以降久しぶりに歌舞伎座の舞台に戻ってきました!華やかな舞台に客席もにぎわい、以前の歌舞伎座の姿にまたひとつ近づいたことを実感することができます。
第一部で上演されている「闇梅百物語」は、近年それなりに上演のある舞踊です。役者さんの御子息方が育ってこられたこともあり、今後上演頻度が上がるかもしれませんので、この機会にお話したいと思います。
現在、第一部は残念ながら上演中止中ですけれども、19日以降は無事に上演されることを願っております。
明治のヒットメーカー三代目河竹新七
闇梅百物語(やみのうめひゃくものがたり)は、明治33年(1900)1月に東京の歌舞伎座で初演された舞踊です。
初演を勤めた五代目菊五郎が、家の芸を補綴してお化け尽くしの変化舞踊とした愉快な舞踊で、とにかく見ているだけで楽しめる演目です。そのため今回は、あえてややマニアックな部分もお話してみたいと思います。今後の芝居見物のお役に立てれば幸いです。
「闇梅百物語」は、三代目河竹新七が作詞を手掛けています。幕末から明治初めにかけて活躍した大作者・河竹黙阿弥の弟子です。江戸の神田に生まれ、師匠の芝居に感激して狂言作者の道を歩み出し、師匠の前名新七を三代目として襲名しました。
「團・菊・左」と呼ばれた明治時代のスター九代目市川團十郎、初代市川左團次、五代目尾上菊五郎のために、数々の人気狂言を生み出したヒットメーカーでした。五代目菊五郎とは所作事におけるタッグも目立ち、家の芸として制定された「新古演劇十種」の内にも作品が含まれています。
さらに、当時のスター噺家・三遊亭圓朝の噺を数多く歌舞伎化したことでも知られます。圓朝といえば人情噺や怪談で大変有名ですが、この時代に河竹新七らによって歌舞伎として具現化されていたことも噺が今に伝わっている一因といえるのではないかと思います。
三代目河竹新七の手掛けた作品はほかに
籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
怪異談牡丹燈籠(かいだんぼたんどうろう)
江戸育御祭佐七(えどそだちおまつりさしち)
などがあります。
どれも江戸風情がありますが、黙阿弥作品に比べてどこか客観的な視点のある江戸風情のようにも感じます。歌舞伎を高尚化せんと徐々に時代が移っていくなか、史実の考証などにも熱心であったという新七の真摯な創作姿勢が感じられます。
参考文献:日本大百科事典/新版 歌舞伎事典/舞踊名作事典/日本舞踊曲集成