ただいま歌舞伎座で上演中の三月大歌舞伎!
夜の部「助六由縁江戸桜」について、少しばかりお話したいと思います。
なにかのお役に立てればうれしく思います。
元ネタがあったとは
市川團十郎家の家の芸である『歌舞伎十八番』に数えられ歌舞伎を代表する人気演目助六由縁江戸桜
そもそもの始まりは、延宝のころに京都で起きた心中事件でした。
萬屋助六(万屋)という男伊達が、島原の遊女・揚巻と良い仲に。
しかしこの助六という男はもうどうしようもない放埓ものでして、親御さんから多額の縁切れ金を渡され勘当されてしまいます。
助六はそのお金で揚巻を身請けし、
二人の間に生まれた子供を実家の門の前に捨て、
揚巻と二人で哀れ心中を遂げた…という痛ましい事件であります。
上方ではこの事件を人形浄瑠璃や歌舞伎の題材として盛んに取り入れ、
大変人気を博し「助六物」というジャンルが生まれていたのだそうです。
二代目團十郎はこの「助六物」を江戸で歌舞伎にできないかな?と考えたわけです。
上方では「和事」と呼ばれるしっとりとしてやわらかい演出方法が主流。
一方江戸では、「荒事」と呼ばれる豪快でスカッとした対照的な演出方法が確立されていました。
上方風情の「助六物」を和事のまま上演したのでは芸がありません…
二代目團十郎はいろいろとアイディアをめぐらして見事江戸歌舞伎に輸入。
荒事の要素を盛り込み江戸っ子好みに仕上げたのが
「助六由縁江戸桜」の原型「花館愛護櫻(はなやかたあいごのさくら)」でありました!
二代目團十郎は上方からやってきた演奏家による浄瑠璃「萬屋助六心中」を聞いて歌舞伎化をひらめいた、というエピソードがあるそうです。
聞いた浄瑠璃をそのまま取り入れるのではなくて江戸好みにガラリと作り替え、
数々の愉快なキャラクターを生み出し、
歌舞伎の代表的演目へと育てるというクリエイティビティには脱帽します。
今でこそ「古いもの」「伝統」というイメージがつきまとってしまう歌舞伎ですが、
当時の役者たちにとっては最新のショービジネスの世界であったわけですね。
アイディアがぶつかり合い、面白いものが次々に生まれていた当時の江戸と上方のようすを、一度覗いてみたいものです。