本日、26日は歌舞伎座 三月大歌舞伎の千穐楽でしたね!おめでとうございます!
※写真は過去のものです
御浜御殿に涙
このすえひろは残念ながら今日の千穐楽は拝見できませんでしたが、つい先日の週末にマイ楽を堪能して参りました。本当に素晴らしい時間でした。
仁左衛門さんの綱豊卿はもちろんのこと、幸四郎さんの富森助右衛門の切なる思い、梅枝さんのお喜世の感情の発露、孝太郎さんと歌六さんの持つ含み、全ての魅力が芝居の中に一体化していて、今まさに目の前で実録として見ているような思いに駆られ胸に迫りました。週末に拝見した際などは、この芝居で初めて落涙した次第です。
御浜御殿といえばとにかくセリフ劇で、動きのないなかで長い長いセリフのやりとりが続く芝居ですね。舞台を作る方々には本当に申し訳なく、心苦しいのですが、正直なところこれまで睡魔に負けてしまうことも少なくなかった演目でもありました。
しかし今月同じセリフを繰り返し繰り返し聞いたことで、登場人物たちの本当の思い、本当に言いたいことは、セリフの外側にこそ秘められているんだなあと気づかされました。
戦略的に政からの距離感を図る綱豊卿の立場、企てを決して漏らすことのできない赤穂浪士の立場を思えば、言葉の外側にしか描けない本音こそが、物語の核心なんですね。それを掴むととみるみるうちに、物語が表と裏の二層になって見えてきました。江島が冒頭で言う「と、ここまでは表向き」という言葉がぐっと効いてくるようです。
あれだけ話している中でも決して本当のことは言えない、何一つ言えない、そんな葛藤があるからこそ、綱豊卿と助右衛門の感情が極まるクライマックスでボロボロと涙が出てきたのだと思います。助右衛門の切なさ、綱豊卿の大きさに心がうち震えました。
「本当のことは何も言えない人たち」の間で起こるドラマに対して、これほどまでに動きを削いでセリフを費やし、細部の表現まで凝らして描くというところに、この戯曲のおもしろさと真山青果の凄みがあるのかなと。
ですから、セリフを一生懸命聞いているうちにすやすやと睡魔に連れていかれていた過去の自分は、核心をつかむことができていなかったんだなあと反省しています。
とはいえ、こういったことも何年にもわたり時間を費やせばこそ気づくおもしろさなのであって、これまで眠ってしまった時間もまた自分にとっては決して無駄ではありません。長い時間を費やすことの豊かさを感じる出来事でした。