ただいま歌舞伎座では秀山祭九月大歌舞伎を上演中です。
初代吉右衛門の芸を顕彰することを目的とした「秀山祭」
今年は当代吉右衛門さんが夜の部で、初代の当たり役である「ひらかな盛衰記 逆櫓」
船頭松右衛門 実は 樋口次郎兼光をお勤めになっています!
そんなひらかな盛衰記 逆櫓について、少しばかりお話いたします。
なんらかのお役に立てればうれしく思います(人'v`*)
義経ゆずらぬ逆櫓論伝説
前回、ひらかな盛衰記は源平盛衰記を題材としたものだとお話いたしました。
中でも今月上演されています「逆櫓」の場面は、実際のエピソードを取り入れてアレンジしたものだと伝わっています。
そんな「逆櫓論伝説」について、お話したいと思います(´▽`)
摂津国の福島にいた義経たちは、四国の屋島にいる平家軍を船で急襲しようと策を練っていました。
どうしよう、ああでもない、こうでもないと評議しているうち、梶原景時がとあるアイディアを主張してきたのです。
それは
船首にも船尾にも櫓(オールのようなもの)をつけて、
前にも後ろにも簡単に動かせるようにしましょうよ
=逆櫓(さかろ)
というもの。
それを聞いた義経は、
最初から退却のことを考えるなんて何を言ってるんだ絶対に嫌だ
俺は絶対に勝つ!
と断固拒否!
両者譲らず大論争になったのだそうですΣ(・□・;)
結局義経は自分の船に逆櫓をつけず、わずかな味方ながら見事勝利をおさめましたとさ…
という伝説であります(´▽`)
逆櫓の松跡
この論争が繰り広げられた地には老いた松が植わっていたそうで、
現在も大阪府大阪市福島に逆櫓の松跡なる史跡があるそうですΣ('0'o)
実際の松は大火にて焼けてしまったそうで、現在この地に生えている松は植え替えたものと伝えられています。
お近くにお出かけの際は、ご覧になってはいかがでしょうか(人'v`*)