今月、歌舞伎座で上演されていた秀山祭九月大歌舞伎!
夜の部「再桜遇清水」は、かつて当代の吉右衛門さんが松貫四の名で筆を取られた作品として話題を呼んでいました。
上演にちなみまして、松貫四というお名前についてお話いたします。
なんらかのお役に立てればうれしく思います(人'v`*)
芝居茶屋主人であり浄瑠璃作者
松貫四(まつ・かんし)と読むこのお名前は、
江戸時代中期に活躍していた人物のものです。
松貫四は、元は江戸の芝居小屋 市村座の芝居茶屋である菊屋の主人でありました。
江戸時代の芝居見物というのは朝から日暮れまでの一日がかりの大仕事でしたが、
芝居小屋には現代のように食堂などが用意されていませんでした。
そのため、上等な席で芝居を見てゆっくりと過ごしたいお金持ちのお客さんは
芝居茶屋というシステムを使って快適な芝居見物を楽しんでいたのです。
芝居茶屋を通すと桟敷席を予約しておいてもらえ、美味しいごちそうを用意してもらえ、
荷物を預かってもらえ、芝居が終わったらお酒の席に役者を呼べる…
などという、ラグジュアリーなサービスを提供していたんですね。
うらやましい限りです(n´v`n)
そんな芝居茶屋の主人であった松貫四はそのお仕事の傍ら、
副業の浄瑠璃作者として才能を発揮!
なかでも合作で参加している「恋娘昔八丈」「伽羅先代萩」の二つは
今でも頻繁に上演されていますね(´▽`)
やがて、芝居をこよなく愛した娘のお亀が三代目中村歌六と結婚。
二人の間に生まれた長男こそが、初代の中村吉右衛門なのです。
松貫四は、通称を「万屋吉右衛門(よろずやきちえもん)」といいました。
(※萬屋とも)
初代はこの母方の祖父の通称をもらい「吉右衛門」を名乗ったのだそうです。
その大切な名跡を一代の芸で非常に大きなものとしました。
こういったわけで、当代の吉右衛門さんのご先祖にあたる大切なお名前なのです。
執筆にあたり松貫四を名乗るゆえんに大納得ですね(人'v`*)