ただいま歌舞伎座で上演中の吉例顔見世大歌舞伎!
昼の部「雪暮夜入谷畦道」について、少しばかりお話いたします。
初めてご覧になる方や、歌舞伎ファンになりたての方のお役に立てればうれしく思います。
処刑された直次郎はその後…
「直侍」こと片岡直次郎は実在の無頼漢であったというのは
その二でもお話した通りです。
再びのゆすりたかりで捕まってしまった直侍は、
現在の東京都荒川区は南千住にあった
「小塚原(こづかっぱら)刑場」にて処刑されてしまいました。。
小塚原刑場は「骨ヶ原」とも書き、
磔やら火あぶりやらのおそろしい極刑が行われた場所であります。
歌舞伎で有名な刑場といえば現在の品川区にあった「鈴ヶ森」ですが
この小塚原も非常に有名で、安政の大獄では吉田松陰らの処刑も行われています。
そんなおそろしい小塚原刑場へ、
処刑された直侍の遺体を引き取りにやってきたのが、
吉原大口屋の遊女・三千歳であります。
直侍と同じく、三千歳も実在だったのでした。
三千歳は本名をなをといって、もとは江戸浅草の茶くみ女でしたが、
新吉原の遊女となり名を馳せた女性です。
愛する直はんの遺体を引き取った三千歳は、
小塚原刑場近くの小塚原回向院にお墓を建ててあげました。
直侍が亡くなったのは天保3年(1832)
三千歳は明治17年(1884)72歳で亡くなったそうなので、
50年近くの歳月をどんな思いで過ごしていたのかなぁ…と胸が苦しくなります。。
三千歳が弔った片岡直次郎のお墓は現在も
東京都荒川区南千住の小塚原回向院にあります。
直次郎のお墓の横にはあの鼠小僧治郎吉のお墓もあるそうです。
有名な大どろぼうたちが並んで眠る、たいへん興味深い場所です。