歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい直侍 その三 三千歳が建てた直次郎のお墓が南千住に

ただいま歌舞伎座で上演中の吉例顔見世大歌舞伎

昼の部「雪暮夜入谷畦道」について、少しばかりお話いたします。

初めてご覧になる方や、歌舞伎ファンになりたての方のお役に立てればうれしく思います。

処刑された直次郎はその後…

直侍」こと片岡直次郎は実在の無頼漢であったというのは

その二でもお話した通りです。

 

再びのゆすりたかりで捕まってしまった直侍は、

現在の東京都荒川区は南千住にあった

小塚原(こづかっぱら)刑場」にて処刑されてしまいました。。

 

小塚原刑場は「骨ヶ原」とも書き、

磔やら火あぶりやらのおそろしい極刑が行われた場所であります。

歌舞伎で有名な刑場といえば現在の品川区にあった「鈴ヶ森」ですが

この小塚原も非常に有名で、安政の大獄では吉田松陰らの処刑も行われています。

 

そんなおそろしい小塚原刑場へ、

処刑された直侍の遺体を引き取りにやってきたのが、

吉原大口屋の遊女・三千歳であります。

直侍と同じく、三千歳も実在だったのでした。

三千歳は本名をなをといって、もとは江戸浅草の茶くみ女でしたが、

新吉原の遊女となり名を馳せた女性です。

 

愛する直はんの遺体を引き取った三千歳は、

小塚原刑場近くの小塚原回向院にお墓を建ててあげました。

直侍が亡くなったのは天保3年(1832)

三千歳は明治17年(1884)72歳で亡くなったそうなので、

50年近くの歳月をどんな思いで過ごしていたのかなぁ…と胸が苦しくなります。。

 

三千歳が弔った片岡直次郎のお墓は現在も

東京都荒川区南千住の小塚原回向院にあります。

直次郎のお墓の横にはあの鼠小僧治郎吉のお墓もあるそうです。

有名な大どろぼうたちが並んで眠る、たいへん興味深い場所です。

浄土宗 南千住小塚原 回向院

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