歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい大江山酒呑童子 その一 江戸から続くゆかりの演目

ただいま歌舞伎座で上演中の

芸術祭十月大歌舞伎

今月は勘三郎さんの追善興行ということで、中村屋ゆかりの演目が揃っています。

なかでも昼の部「大江山酒呑童子」はゆかりの深いものですので、この機会に少しばかりお話いたします。

芝居見物のたのしみのお役に立てればうれしく思います。

江戸から続く中村座と酒呑童子のゆかり

大江山酒呑童子(おおえやましゅてんどうじ)は、

昭和38年6月に東京は歌舞伎座にて初演された松羽目ものの舞踊演目。

 

五番目物の能「大江山」などを基にして舞踊作家の萩原雪夫さんが仕立てたもので、

初演を勤めたのは十八代目勘三郎さんのお父様にあたる十七代目勘三郎さんです。

そのおもしろさから評判を得て繰り返し上演され、

十八代目、そして当代の勘九郎さんへと受け継がれているものであります。

 

しかしながらゆかりというのはそればかりではなくて、

ルーツは遠く江戸時代に遡ります…

 

中村勘三郎という名跡はそもそも、中村座という芝居小屋の座元のものでありました。

座元というのは劇場そのものの所有者であり、興行主のこと。

京都からやってきて江戸に芝居小屋猿若座のちに中村座を開いた、

江戸歌舞伎の祖」ともいわれる伝説的な方である初代から受け継がれてきた権威であります。

 

江戸のまちに幕府から認められていた芝居小屋は3つ。

江戸三座と呼ばれるそれらの芝居小屋では儀式的な演目として「脇狂言」なるものが上演されていました。

まずは三番叟というおめでたい演目を、それに続いて脇狂言を上演し、

長い長い一日の芝居がはじまるぞという具合です。

 

この脇狂言は芝居小屋によって内容がことなり、

中村座で用いられていた脇狂言こそがまさに、「酒呑童子」であったわけなのです。

 

江戸時代に行ってみたかった、生まれるのが遅かった、と常々思っている私ですけれども、

今月の勘九郎さんの見事でありつつ嫌味のない底抜けにたのしい舞踊、

なんだか胸がスカッと気持ちよくなってしまうようなすばらしい身体性、

そして華やかなる松羽目の舞台と三味線音楽を堪能しておりますと、

平成の世に生きているからこそこうして勘九郎さんの酒呑童子に巡り合える

自分はなんとしあわせ者だろうという思いがふつふつ湧いてきます。

これだから芝居見物はやめられません(´▽`)

 

参考文献:新版歌舞伎事典

新版 歌舞伎事典

新版 歌舞伎事典

 

今月の幕見席

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