ただいま歌舞伎座で上演中の
吉例顔見世大歌舞伎!
夜の部「法界坊」は比較的上演頻度の高い人気の演目ですので、この機会に少しばかりお話いたします。
芝居見物のたのしみのお役に立てればうれしく思います。
なぜ「隅田川」?
法界坊(ほうかいぼう)というのは通称で、
外題は隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)と読みます。
1784(天明4)年5月 大坂角の芝居にて初演され、
作者は奈河七五三助(ながわしめすけ)という方です。
有名な演目のわりに聞きなれぬお名前ですけれども、大坂で活躍されていた歌舞伎作者であります。
法界坊という女もお金も大好きなとんでもない生臭坊主が、
ゆすりかたりに人殺しなど散々なことをして、
おばけになって出てきてしまうという仰天のストーリーであります。
それはさておき、大坂で生まれた演目なのに題名に江戸の「隅田川」があるのは
なにやら不思議に思われませんでしょうか?
これは単に物語のロケーションが隅田川というだけの意味ではないようです。
いまの隅田川のエリアというのは、グルメスポットや遊び場がたくさんある
江戸時代の一大観光地でありました。
そして周辺には古くからのいわれある神社なども点在しており、
「伊勢物語」にも詠まれ、謡曲「隅田川」で梅若伝説と呼ばれるストーリーが作り上げられ、
死やそれにまつわる悲劇などが連想される土地としても知られていきました。
日本の東の果てにある、生きるよろこびと死の悲しみが混在する特別な場所…
というイメージは、上方にも知れ渡っていたようであります。
そして能「隅田川」から派生した歌舞伎や浄瑠璃が作られ、作品群は「隅田川物」と呼ばれました。
この法界坊もそのうちのひとつというわけです。
このすえひろも代々隅田川界隈の生まれであります。
今となっては世界中の人が集まるスカイツリーが建ち、夏には花火が上がり、
年に何度もたのしい相撲興行が行われていますけれども、
江戸から現代までに本当にたくさんの、
それはそれはおびただしい数の方々が亡くなっている土地であるということは、
幼いころから身近なお年寄りたちからよく聞かされて育ちました。
それを裏付けるように七不思議や怪談なども伝わっています。
楽しみと死者の霊魂が隣り合わせの土地という意識は、今でも根付いているわけです。
ですから、法界坊のような遊び歩く生臭坊主もいたであろうし、
それが奇妙な形で化けて出るということも結構納得のいく話であります。
芝居見物の際はそんな隅田川の特性もともに思い出していただけたら、
たのしみがより深まるかもしれません(´▽`)
参考文献:新版歌舞伎事典
- 作者: 服部幸雄;富田鉄之助;廣末保
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