歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい法界坊 その二 法界坊のモデル?

ただいま歌舞伎座で上演中の

吉例顔見世大歌舞伎

夜の部「法界坊」は比較的上演頻度の高い人気の演目ですので、この機会に少しばかりお話いたします。

芝居見物のたのしみのお役に立てればうれしく思います。

法界坊のモデル?

法界坊(ほうかいぼう)というのは通称で、

外題は隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)と読みます。

1784(天明4)年5月 大坂角の芝居にて初演され、

作者は奈河七五三助(ながわしめすけ)という方です。

 

法界坊という女もお金も大好きなとんでもない生臭坊主が、

ゆすりかたりに人殺しなど散々なことをして、

おばけになって出てきてしまうという仰天のストーリーであります。

 

この「法界坊」というはさまざまな歌舞伎の役柄のなかでも

おもしろくて憎めないのでわりと人気があるようです。

こんな人が実在していたらさぞかしおもしろいのでしょうが、

もともとは1720年に近松門左衛門が書いた「雙生隅田川」に登場した架空の人物であり、

法界坊そのものはあくまでもフィクションということになっています。

 

しかしながら江戸の終わりになりますと、

実際に「法界坊」という名のお坊さんが江戸に現れるのです。

その人というのは、滋賀県中山道の上品寺というお寺の七代目住職・法界坊了海で、

幼いころに両親を亡くしてから仏の道で真面目に修行を積んできたお坊さんであります。

 

師匠から譲り受けた上品寺のお寺が老朽化してきてしまい、なんとか再建したい…と、

滋賀県からはるばる江戸へとやってきて熱心に念仏を唱え歩き回りました。

お寺再建の勧進のために身一つで頑張っていたのです。

 

大江戸八百八町のなかで、やはり金回りがいいのは花街吉原でありましょう。

花魁たちは幼いころから苦労を重ねた法界坊の話しを聞いてたいそう感じいり、

なんとかお布施を集めたいと奔走したのです。

 

そしてついに釣鐘ができあがり、

法界坊は遠い滋賀県までよいしょよいしょと運んで帰っていったのでした。

この釣鐘には、尽力してくれた花魁たちの名前が刻まれており、

今でも滋賀県彦根市の上品寺にあります。

 

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お分かりいただけるようにこの法界坊了海という方は、

たいへん真面目な勧進のお坊さんでした。

歌舞伎の法界坊のモデルであるとされてしまう説もあるようですが、

偶然の一致でなんだかお気の毒だなあという気がしてしまいますね(´▽`)

 

 

参考文献:歌舞伎登場人物事典/ジャパンジオグラフィック/彦根市

歌舞伎登場人物事典(普及版)

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