歌舞伎座で上演中の壽 初春大歌舞伎!
平成最後のお正月を迎えた歌舞伎の殿堂のにぎにぎしい舞台です。
この機会にはじめて歌舞伎をご覧になるという方も大勢おいでのことと思います。
昼の部「廓文章」は人気のある演目でたびたび上演されており、
このすえひろも大好きなものですのでぜひこの機会に少しお話したいと思います。
伝説の花魁「夕霧太夫」
廓文章(くるわぶんしょう)は「吉田屋」という名でも知られるお芝居。
演目の内容は非常にシンプルで楽しく、はじめての方にもわかりやすいです。
とにかくラブラブな美男美女をほほえましく見守るというものなのですが、
舞台の上の美しさは格別であり歌舞伎らしいぜいたくが味わえるなあと思います。
その一では芝居の流れをざっくりとお話いたしました。
主人公の藤屋伊左衛門さんは実在しない架空の人物。
しかし阿波屋の御大尽という大金持ちは実在していたようで、
この方は本当に有名な花魁と馴染みの中だったそうなのであります。
その花魁こそが廓文章に登場する夕霧太夫。
なんと夕霧太夫は実在の、なおかつ伝説の花魁でありました。
夕霧太夫は照(てる)さんというお名前で、
嵯峨中院の宮大工さんの娘さんとして生まれましたが遊女になり、
元々は京都島原の廓で勤めていたそうであります。
それはそれは大変な美女であり、容姿だけでなく芸にも秀でていて、
また非常に聡明であり、しとやかな立ち居振る舞いも絶品…
こりゃもうこの上ない太夫さんですなあと評判に。
「松の位」という最高位の太夫として活躍しました。
1672年(寛文12)に大坂新町の花街へ移ることになったときには、
その噂を聞きつけた見物人で大坂の川筋が大いににぎわったそうであります。
松の位の太夫さんといえば大金持ちの方々しか接することができないわけですから、
チャンスがあるのなら一目見ておきたいという思いもよくわかりますね。
そんな夕霧太夫の名前は京大坂で大評判となったわけなのですが、
なんと1677年(延宝5)病に倒れてしまいます…。
そしてその翌年の1678年(延宝6)1月6日、わずか27年の生涯を閉じたのでした。
亡くなった年齢は22歳という説もあり、
その栄華がいかに儚いものであったかを物語っていますね。
井原西鶴が「神代このかた、又類ひなき御傾城の鏡」とも書いた
名妓・夕霧太夫がこの世を去ってひと月も経たない2月3日、
大坂では「夕霧名残の正月」という歌舞伎を上演。
夕霧太夫にちなんだ歌舞伎や浄瑠璃が次々に作られていきました。
こうして夕霧太夫は伝説の名妓となり「廓文章」へと繋がっていくわけです。
この上ない花魁といわれながらも若くして伝説となった夕霧太夫。
時を経た平成の世に在りし日の姿を想像し、心行くまでうっとりしたいものですね。
参考文献:井筒八ッ橋本舗/新版歌舞伎事典/歌舞伎登場人物事典
今月の幕見席
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