ただいま歌舞伎座で上演されている二月大歌舞伎
夜の部「熊谷陣屋」は上演機会の非常に多い演目ですので、
前回のまとめに引き続きまた少しばかりお話したいと思います。
芝居見物の何らかのお役に立てればうれしく思います。
これまでのまとめ
神戸の須磨寺にあの制札
熊谷陣屋(くまがいじんや)とはそもそも、
1751(宝暦元)年に大坂は豊竹座にて初演された人形浄瑠璃の演目の一場面。
平家物語を脚色した「一谷嫩軍記」という全五段の浄瑠璃の、
三段目の切にあたる場面が「熊谷陣屋」として繰り返し上演されています。
平家物語の涙を絞るような名場面「敦盛最期」をおおきく脚色したものです。
非常にざっくりとした状況説明としては、
・時は源平合戦、義経の家来の熊谷次郎直実が主人公。
・直実は「敵方・平敦盛の命を助けるべし」というメッセージを受け取った。
・義経さまはかねてより桜に「一枝を伐らば、一指を剪るべし」という制札を立てていた。
・いっしを切らば、いっしを切るべし…→いっし=一子…!!
・熊谷はやむを得ず自らの一子、小次郎を…!
・そして自らの陣屋へ戻るとなぜか妻が…!
という、たいへん緊迫したものです。
登場人物それぞれギリギリの心理状態が描かれています。
国立国会図書館デジタルコレクション
さて、このお話の大変重要なアイテムといっても過言ではないのが
「一枝を伐らば、一指を剪るべし」の桜の制札。
実はこの制札は兵庫県は神戸市須磨区の須磨寺に実在しています。
須磨寺にはあの光源氏が手植えしたと伝わる若木の桜があり、
そこへあの武蔵坊弁慶が「一枝を伐らば、一指を剪るべし」との制札を立てたのだそうです!!
制札は現在、敦盛の青葉の笛などの熱いアイテムとともに
須磨寺の宝物館にしまわれているそうですので、
お近くの方やご旅行の際にはは要チェックであります。
しかしながら、私のような歌舞伎バカにとってはもはや
武蔵坊弁慶は隈取に毬栗頭であったり山伏に扮したりして(拵えは数パターン)、
六法を踏んだり法螺貝を吹きながら去っていく男であり、
源義経は白塗りで気品あふれ淡々とそこにいる貴公子であるわけでして…
そこには歌舞伎ならではの強烈なデフォルメが加わっているので、
こうしてお寺に実物の制札があるなどと聞くと
うわぁ本当にいたんだなあ…!!実在した人間なんだなぁ…!!!
と、なにやら猛烈に興奮してしまいます…!
いつの日か須磨寺にも参り、制札を拝見したいと思います!
参考文献:須磨寺